|
噴火湾文化とは 何ですか?
|
|
「噴火湾文化」とは、伊達の市民にとってもなじみのない言葉かもしれません。 伊達は、自然や文化、歴史の面でも、室蘭や洞爺湖町などと同じ、大きな噴火湾という海に面した街として共通の要素をもっており、噴火湾とそれを取り巻く自然と関わりをもちながら独特の文化を育んでいます。この大きなくくりとしての噴火湾の中で、伊達がどういう環境なのか、伊達で何が起ってきたかをみていくため、「噴火湾文化」という大きな枠組みを新たに創り出しました。
|
|
|
研究所よりの風景
|
|
|
|
|
噴火湾をテーマとして自然や文化を研究するのですが、それが目的ではない。従来でしたら、研究成果は博物館や美術館などで活用して終わりですが、それをさらにもう一歩進めたところで仕事しようと考えています。
ご存知のように伊達は明治3年に亘理伊達家の人々が開拓にきてできた街です。同じような歴史はお隣の室蘭や登別、白老にもあるわけです。こういうものも研究し終わるとそこで終わってしまうわけですが、実はそれらの歴史は市民の生活に密接に関わっている。これをまちづくりの素材に使おう、そこに知恵をだそう、というのが私たち研究所の役割なんです。こういう発想でつくられた研究所は全国でも他にはどこにもないと思います。
|
噴火湾文化研究所
大島直行所長
|
|
|
具体的にその素材、どのように活かされているのでしょう?
|
|
文化財を私たち研究所が活かすのではなく、市民自身が活かして欲しい、というのが、この研究所の考え方のひとつです。
この研究所の母体となったのが市の文化財課ということもあり、初めにとりかかったのが文化財のボランティアのグループです。
|
|
竪穴式住居 国の史跡北黄金貝塚の、復元された縄文の風景
|
こういう「文化財ボランティア」というのは全国どこにでもあり、ごく一部の知識や関心の高い人しか集まってこないもので、これは街づくりというところからは遠いところにあるのですが、これをあえて最初から街づくり、としてとらえ取り組みました。
遺跡を管理するのは行政の仕事ですが、これを市民と一緒にやる、官民の協働という形をとろうということ。当然、市民の皆さんの趣味の会ではないし、単に行政が市民にお手伝いをしてもらう、というのでもない。市民がきちっとした意見をもち、行政に参画する、ということです。
市民が行政に参加できる仕組みを整えていく、これが私どもの役割の一つとなってできてきたんです。
|
|
|
北黄金貝塚での取り組み
|
|
2つのグループが北黄金貝塚で活動しています。
ひとつは、黄金貝塚周辺に縄文の森を復活させようという「縄文スクスク森づくりの会」。
ドングリなどの広葉樹の苗木を育て、植林し、下草刈りなど作業を続けています。史跡の整備は従来は行政の仕事ですが、これを市民の皆さんと行っています。最初は3000平方メートルくらいだったのが、今では15000平方メートルにまで広がり、最初は森なんかできるのかな?という感じだったのが、今では立派な林になりました。20年、30年やっていると当初夢見ていた縄文の森ができると思います。
|
|
縄文スクスク森づくりの会のメンバーによる植樹作業 |
今ではメンバーが勉強をして、市民講座を開くようになりました。啓発事業までやってくれているのです。
行政がやっていたことを、市民の知恵をだし共にやっていく、という行政参加のもっとも典型的な形になってきたな、と思います。
|
もうひとつは、「オコンシベの会」。これは遺跡のガイドグループ。遺跡の案内や体験学習の指導を行っています。体験学習の指導は、初めは職員が行っていたのですが、ちょっと練習をすれば市民でもできるのでは、という声よりボランティアが行うようになりました。勾玉づくりや粘土で土偶をつくったり、貝のアクセサリーをつくったりといったメニューが人気となり、2005年で約1000人も体験者が増え、冬季休みを除く8ヶ月間で、年間9000人の皆さんが体験学習の為に訪れるようになりました。
|
|
オコンシベの会のメンバーによる解説 |
いづれも官民協働で、どなたでも参加できるという形をとったため、会員が多く、なかなか辞める人がいないのです。これまで全く遺跡に足を運ばなかった人も、近所の方の話を聞いて、それなら私もできるかもしれない、と参加するようになる。
文化財にふれる人のすそ野が広がってきている、ということなんですね。
|
|
|
ボランティア環境を整える=街づくりに
|
|
|
あるとき気付いたのですが、会員の中の相当数、伊達以外の地域から越してきた「移住者」の会員が多いんですよ。中高年の方が多いのですが、そういう方々は地元の人にはないまた違った目線で伊達や遺跡のことを見ています。
またこの活動自体が、言葉は大げさですが、皆さんの「生き甲斐」になっているようです。これは予期していなかった効果です。
これを続けていく上、これ自体がまちづくりになっているな、と気付きました。ボランティアの環境を整え、より多くの人が協働で作業できる環境を整えること、それ自体が街づくり、だと考えるようになってきました。
|
噴火湾文化研究所のニューズレター 最新号の2号は1月中旬発行予定(写真は1号) |
|
|
世界に通用する人材を育てる
|
|
過去の文化遺産を活用することについて述べてきましたが、未来の文化をつくり出すことにも取り組んでいます。
今年度は「だて噴火湾アートビレッジ」事業を始めました。伊達市の郊外にアトリエを構える洋画家、野田弘志・大藪雅孝画伯のお二人の指導の元に、絵画セミナーや音楽公演などを開催。 野田先生のお弟子さんの永山優子先生をアートディレクターとして迎え、絵画教室「野田・永山塾」を開設しました。小学4年生から高校生までの画家育成コースと、大人の写実絵画コースの2コースあり、これが好評で札幌市や喜茂別町・幕別町からの参加者もいるほどです。この伊達から、世界に通用する人材を育てようと取り組んでいます。
|
|
研究所内のアトリエ
|
|
|
2007年度は
|
|
噴火湾文化研究所は、伊達市館山の小高い丘の上にあって、以前専門学校だった建物で、たくさんの部屋をもつ建物です。 来年度は、市が所蔵やご寄託いただいている作品や図書などの展示をしていきたいと計画中です。野本醇先生の絵画や、掛川源一郎先生の写真、それに様々な民俗資料なども皆さんに見ていただけるようにしていきたいと思います。
また、絵画教室の音楽版、音楽での人材育成の企画も計画中です。これからも様々な知恵をだし、市政に活かせるよう提案していきたいと思います。
|
|
研究所内に展示されている膨大な民俗資料のうちの一部 |
|
|
|