むしゃなび特集/2005年6月2号/伊達市室蘭市を含む西胆振のポータルサイトむしゃなび
■ むしゃなび特集 2005年6月2号 ■
水車アヤメ川自然公園ものがたり
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写真提供 木村益巳さん
春の水車アヤメ川自然公園の変化は感動的だった。数カ月前は雪しかなくて、枯葉色の世界だったのに、美しい色とりどりの野草が次々と咲き、日に日に緑の量が多くなっていく。あれ、この花この間来たときはなかったなあ、なんていう名前だろう?と、足を止める回数がぐっと増え、心がうきうきしてくる。「おはようございます」。普段は、見知らぬ人に声をかけることなどほとんどないのだけれど、細い木道を譲り合いながらの挨拶で、清々しい気持ちになる。
慌ただしく通り過ぎるだけの道路からほんの少し入るだけで、小鳥の声とせせらぎのやさしい水音が迎えてくれる。時にはリスに出会えるので、すっかりファンなって時間をみつけてはぶらりと歩くようになった。小川沿いの散策路を、倒木を乗り越え背の高い木々に包み込まれながら歩いていると、ここが市街地であることを忘れ、心も体もふっと軽くなる。
公園は下流から散策の森、水車の森、水神の森、駒場の森と市道で4区間に区切られていて、上流に向かうにつれ、徐々に自然の気配が濃くなってくる。その日の時間や気分にあわせて滞在時間を調節できるのもお気に入りの理由。伊達の市街地で私の大好きなスポットだ。
四季折々、様々な楽しみ方が
この公園の魅力を、北海道教育庁胆振教育局社会教育指導班、社会教育主事の飯塚淳市さんにお聞きした。飯塚さんは、伊達市を中心に活動する市民グループ
「ネイチャーウオッチングクラブ」の活動の一環として、「アヤメ川探検隊」なるイベントを3年間、月1回開催されてきた方だ。「3万6千人の街の中心地に、リスの住むあれだけの環境が残されているってのは素晴らしいこと。四季折々いろんな楽しみ方ができるのがいい。夏は蝉の脱皮が見れたり、冬も重装備しなくても、長靴で動物の足跡ウオッチングもできるしね」飯塚さんの主催する観察会は、雨天決行なのだそうだ。「雨の日でも小鳥は餌を求めて飛び回ってるなあとか、湿度が高くて急にキノコが大きくなったなあ、などと、自然の中というのは必ず発見がある、お勧めですよ」虫や小動物の話題になるとニコニコ笑顔で、話しはつきない。
昆虫が専門という飯塚さん。公園では、いつもじろじろ地面を見ながら歩いているそうだ。同じ場所でも行きと帰りで見える場所が違うそうだ。その姿、想像するだけで怪しいが、視線が違うと見えてくる世界が違うはず。楽しみも倍増しそうだ。
その名も愉快な「アヤメ川探険隊」は休止中だが、飯塚さんが企画する、小中学生やその保護者を対象とした自然観察会(市社会教育課主催0142-22-1515)は年間を通じて開催されます。また、アヤメ川探検隊の報告が掲載されている、ネイチャーウオッチングクラブの会報誌は伊達市立図書館の雑誌閲覧棚上にファイルされており、いつでも見ることができます。動植物の美しいカラーの写真満載の会報誌は活動開始以来8年間のずっしりとした記録、お勧めです。
市民の手で守り、作られた公園
花の名前一つ、鳥や虫の名前を一つ覚えるだけで、いつもの散策の楽しさが倍増します。自然公園です。みんなで保持しましょうね。
くれぐれも、「とっていいのは写真だけ、残していいのは足跡だけ」の精神を忘れずに。
ところで、この豊かな自然公園、20数年前、コンクリートの3面張りの護岸改修工事が行われる予定だったところを市民の要望によって中止し、自然公園となったと今回初めて知った。
言われてみれば、駐車場入り口付近の川はコンクリートの3面張り、高さもあるので、川底を流れる水からもずいぶん距離を感じてしまう。公園の奥のほうへ行くとその差は歴然、よくぞ残してくれたなあ、と感謝の気持ちが沸き上がる。
最近でこそ自然環境の大切さが叫ばれ、親水護岸なんて言葉も聞くけれど、まだまだ経済効率優先だった時代に、進行中の工事をストップさせ自然公園として残したとは、すごいこと。当時としては画期的な出来事だろう。言い出した市民も、協力した地域の住民も、そしてその工事を止め、公園をつくったという市の姿勢も、素晴らしいではないか。
ニセアカシヤ
フッキソウ
エゾゼミ
当時のことを、「水車川、あやめ川自然公園をつくる会」を立ち上げ自然公園づくりに奔走された歯科医師の堅田進さんに伺った。
ミズバショウ
堅田さんは「いいところは残したい、それだけなんですよ」とまず一言。「あそこは良い自然環境が残っていて、上流の紋別川の水門を閉じることで洪水の心配がないと分かったから、意外とすぐに工事は止まったんだ。あとはいろんな人が関わってくれて、市と市民の手作りでできたような公園なんですよ」。
フクジュソウ
川に小道もついていない中を、大勢の市民が草刈りをし、国鉄でもらってきた枕木を使って橋や遊歩道を設置、かつて水車小屋があった近くに建設会社が水車を寄贈したり、ロータリークラブが公園の看板を寄贈、その文字を太陽の園の児童が彫ったりと、多くの人の協力で昭和58年(1983年)9月にオープン。
エゾリスの足跡
なんと開園のためにかかった市費はわずか100万円だったとか。
「小さい頃に野山で遊んだからね、そういう環境を後世に残したいんだ」という堅田さんらに賛同した人々が、力を合わせてつくった、まさに手作りの公園だ。
オオウバユリ
とはいっても、そこにこぎつけるまでは大変で、流域の植生、歴史の調査報告書の作成から、自然公園の構想を練り、署名を集めるなど様々な作業があったよう。堅田さんは、仕事を終えてから会の仲間と一戸一戸説明に歩いたよ、と当時を懐かしそうに振り返る。その熱意が原動力となったのは間違いないだろう。
エゾリス
オオアマドコロ
なるべく人の手を入れない自然公園に
堅田さんによると、水車の森は、歩きやすい遊歩道やあずまやもある「自然の中の人間の空間」で、水神の森は、動物と人間が一緒に過ごすことのできる「自然との共存」がテーマ。最上流の駒場の森は、「動物の空間に人間がちょこっとおじゃまする」空間というコンセプトの公園だそう。
カルガモ
周囲に全く植生のない3面張りの水路から、上流に歩いて行くうちに、どんどん自然の気配が濃くなってくるのを肌で感じてみてほしい。
ともあれ、ここは自然公園。多くの人の手で残された環境を維持するためにも、散策路を外れない、ゴミを捨てない、動植物を採取しないという最低限のマナーは守りたいものですね。
エンゴサク
クサカゲロウ
ジャノメチョウ
開拓の歴史を今に伝える
さらに、ここが自然河川ではなく開拓当時に掘られた水路だということも教わった。この水神碑と周囲の整備もこの公園化によって進められたそうだ。
水神碑がある小公園に行ってみた。小さな鳥居と明治26年建立の水神碑、その碑文のあらましが書かれた看板がある。
ホオノキの花
碑文は、移住の経緯に引き続き「この地に到着したのが明治4年4月8日。荒野で人の住めない草むらと樹の野であり食料も道具もなく十日あまり野宿をし、草の小屋をつくり初めて開墾についた。隣どうし協力し掘り割りを造り、水を引いて飲料の便をはかった」と当時の様子を伝えてくれた。
コウライテンナンショウ
水神の森あたりは公園の幅も広く、人家もまばら。みあげるような大木も多く、倒木も多い。川岸は熊笹や、トクサや羊歯のジャングルのようだ。
伊達を開拓した人々は武士とその家族たちだ。刀を鎌や鍬に持ち替え、もちろん重機もなく木を切り、根を掘り、農地にするために切り開いたのだ。ここの自然がほぼ開拓当時のままをとどめているというと思うと、開拓の労苦がぐっと身近に感じられる。水神碑の前の小さな広場で、ぽかっと晴れたおひさまの下、呑気にパンをかじりながら碑文のあらましを読んでいる自分が、なんだか申し訳ないような気がしてきた。
この水神の広場の少し下流に、遊歩道からいきなり農地が広がって見える場所
がある。以前は馬が放されていたのか「馬に手を出さないで」という看板
があっておもしろい場所なのだが、開拓によってこの森が、こんな広々とした
農地になったのかと一目で分かるポイントだ。
明治4年(1871年)の移住より134年。道内の多くの街で人口減少が課題となっている中、伊達市は、住み易さ、自然環境の豊かさに惹かれて、道内外から移住に人気の街となってきているけれど、そんな背景には開拓の歴史や、豊かな環境を守ろうとした市民の力があったんだなあ、と改めて考えさせられた。
堅田さんは「あそこには、北海道にもともとなかった漆と栗の木があるんだよ。開拓のときに持ち込んで植えたんだ。どうしてだと思う?、そんなことをあれこれ考えながら歩くと面白くてたまらないんだよ」と笑っていらしゃったが、私も取材を始めてから、図鑑に手を延ばしたり、伊達の歴史に興味が出て来たり。水車アヤメ川公園の散策が、いっそう奥深いものになってきた。
写真提供 昆虫/動物/動物の足跡 飯塚淳市さん、植物 木村益巳さん
※記事の内容は取材時の情報に基づいています。
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