むしゃなび特集/2005年9号/伊達市室蘭市を含む西胆振のポータルサイトむしゃなび

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■ むしゃなび特集 2005年9号 ■
夏祭り大特集 伊達武者まつりと近隣の夏のイベント [1/2]
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伊達市いちばんのイベント
「伊達武者まつり」


 武士が集団移住し、開拓した「伊達市」の歴史と伝統をあらためて再認識できるのが、この「伊達武者まつり」の醍醐味です。

軍列の記録をそっくり再現

 武者まつりの一番の目玉、「伊達騎馬総陣立」は鎧兜に身を固めた騎馬武者たちのパレードです。これは、1806年(文化3年)9月、亘理伊達家第12代領主伊達宗賀が、仙台本藩の名代として日光東照宮祭礼に出席した祭の軍列の記録を検証し、これに今日のまつりに相応しい形での脚色を加えたもの。40騎の騎馬武者を始めとし、鉄砲隊、槍隊、旗隊等総勢330人の軍列が時代絵巻を再現するという大仕掛けのパレードなのだ。
 陣立の資料を見てびっくり。各隊の名称と役割が書かれた一覧なのだが、先触れ(この陣の宣伝を行う)に始まって、梵天(法の正義を守る守護神とされ、軍列の先頭に立った)、旗隊、御先打騎馬(前衛、偵察の役割)、お使番(総大将の命令を受け、軍の前後を走り回り伝令する)、法螺貝(軍の進退の合図を行う)….と延々50の役割が続くのだ。それぞれ複数名で総勢400人。ちなみに最後は馬糞処理係で締めくくられていて、にやりとさせられる。
 馬糞処理係は200年前にはなかったと思うけれど、昔の陣立というのは大変なことだなあと思うと同時に、これをそっくり再現してみようとしたエネルギーは、まさに武士の町、伊達だからこそ、おみごと!と感じ入ったのだった。


普段はどこに?伊達武者の鎧兜

 ところで、あのたくさんの鎧兜はいったいどこに置いてあるのだろう?伊達市内をぷらぷら歩いていると、ここそこに鎧兜が飾ってあるのをみかけるのだけれど、陣立で使われる鎧兜は40体。いったいどなたが所有者なのか?そしてどこに保管されているのか?
 今回、その謎が解けました。15年ほど前、オーナー甲冑制度というのを導入して、鹿児島の会社に注文して40体もの鎧兜を揃えたそう。市内の企業や家庭に購入・保存してもらい(つまりオーナーになってもらい)まつり直前になると市役所の職員が保管場所へとりに行き、「武者行列」の参加者が着ることになっている。各家庭や企業では、普段は床の間に飾ったり、押入れに保管しているようだが、伊達市、黎明館や伊達信金のようにロビーに飾ってあるところもある。
 つまり、「俺んち鎧兜あるんだけど、見に来ない?」と誘える人や企業が、この伊達市内に40人はいるってこと。
 まつりになると、鎧兜に身を固めた武者達がわらわらと出現してくる伊達市。これは、市民の心意気で成り立っているのだった!


騎馬武者になった感想は?

  このオーナー甲冑を着て武者まつりに参加したという、伊達市役所社会福祉課の下田好徳さんに、その感想をお聞きしました。
 下田さんは「甲冑は20〜30キロあるが、着てみるとそんなに苦になるような重さは感じられない。逆に重厚感は味わえる。『昔の武士はこうだったのかな?』と思いながら、武者まつりの際に馬に騎乗して参加しました。やはり観衆の目もあって、少し優越感を感じもしたり、また身がひきしまる思いもしました。行列行脚した後は汗びっしょりで、鎧から解かれた解放感がありました」とコメントしてくださいました。
 写真は、下田さんが写真家に撮影してもらったものを、記念にテレフォンカードにしたもの。下田さんの宝物だそうだ。かっこい〜ですね。
 下田さんの他にも、鎧兜は重たいが、ひもで要所要所しばりつけるので結構フィットするし、重さが分散される。でも足が痛くなり鼻緒部分にあざができた。刀を腰に差していると動きづらい。旗隊は、風の強い日は、鎧の重さ+風の抵抗でそうとう重い、などという体験談をお聞きしました。いやあ武士って大変だったのね!
 騎馬武者行列の他にも、武者山車、騎馬合戦と盛りだくさんな伊達武者まつり。今年はちょっと見る目が変わってきたようだ。ともあれ、伊達市一番のお祭りです。みんなで盛り上げていきましょう!

第31回伊達武者まつり
イベントスケジュール
2005年8月6日(土)〜7日(日)
メイン会場 カルチャーセンター広場

■6日(土曜日)
・伊達武者山車 炎の陣
 武者絵を配した「角山車」、迫力の太鼓山車、パワーあふれる「踊り」の伊達武者山車。総勢1200人以上が参加して、伊達の夜を練り歩きます。 コースはJR伊達紋別駅前から市役所までの約1.5km。迫力ある音と光の中でパフォーマンスや踊りを繰り広げ、祭りの夜を華やかに演出します。
18時 出陣式 JR伊達紋別駅前
18時半 武者山車パレード出発、大町〜鹿島町〜網代町〜市役所着


■7日(日曜日)
・伊達騎馬総陣立 魂の陣
 伊達武者を始め、総勢330名の武者たちが、伊達小学校での出陣式のあと、市内を凱旋パレード。その後、凱旋の儀では、長槍隊、鉄砲隊などのパフォーマンスや、弓隊披露が行われ、最後に総大将より激励の言葉で締めくくります。
14時〜出陣式、伊達小学校〜市役所〜カルチャーセンター前広場着。
15時〜凱旋の儀


■おまつり広場 
6日(土)11:30〜17:00
7日(日)11:00〜16:00
 カルチャーセンター前で、おまつり広場が開催されます。名物「合戦焼き」をはじめ、焼き鳥、生ビールなどの販売コーナーや、ミニバレー、パークゴルフ、ストラックアウトなどスポーツコーナー、吹奏楽、バンド、 YOSAKOIなどのステージも、みのがせません。  7日には、室蘭鳶土木工業組合による「木遣り、梯子登り」や、伊達武者騎馬合戦、豪華景品が当たる合戦焼き抽選会も開かれます。


主催:第31回伊達武者まつり実行委員会
お問い合せ:実行委員会事務局 伊達市役所商工水産課
電話0142-23-3331内線 352、353

伊達武者まつりの沿革 (伊達市資料より)
伊達市の歴史は、明治3年、仙台藩一門亘理伊達家第15代領主伊達邦成とその家臣達の集団移住からはじまります。明治の政変に際し、土地や家祿を失った伊達邦成主従は、北辺の地に亘理城再興の夢を託し、酷寒原始の風土とたたかいながら遠大なまちづくりに着手したのです。
 第1陣250余名の入植から始まる開拓の歴史は、まさに筆舌に尽くしがたいものでした。しかし退路のない移住は、人々に固い団結と不屈の開墾魂を生み、この精神はやがて入植10有余年を経て本道の模範農村と称されるまでに発展する原動力となったのです。  
 伊達市には、古くから武者行列の伝統がありますが、その起源は炮烙合戦に求めることができます。記録によりますと、明治17年、それまで開墾にあけくれた人々の生活がどうにか軌道に乗った頃、札幌県令調所広丈氏に炮烙合戦を行うので、佩刀の許可をされたい旨の願いを提出し、それが認められたのが始まりであり、武具に身を固めた二百余騎が東西紅白に分かれ伊達邦成采配のもと市内東浜の原野において東西南北に駆使し、壮烈にして華麗な戦争絵巻が展開されたとあります。   
 昭和48年に第一回目が企画実施された伊達武者まつりもこのような歴史の中から、市民がこぞって参加する夏の一大イベントとして生まれたものです。 


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