むしゃなび特集/2008年6号/伊達市室蘭市を含む西胆振のポータルサイトむしゃなび

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■ むしゃなび特集 2008年6号 ■
ナットウの達人・大友正信 [2/4]
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納豆作って63年 そのはじまりとは


<編者、伊達納豆を訪ねる>


ある晴れた日のこと、私(編者)は伊達で古くから納豆を作っている「伊達納豆」さんの製作所を訪ねました。
「ごめんください。むしゃなびです!」
ガラスの引き戸の奥から伊達納豆の先代、大友正信さんらしき声がして、私は納豆作りの現場に、ではなく、まずその棟続きになっている自宅へとおじゃましました。

大友さんは、こたつの中から茶の間へ招きながら、言います。
「散らかってるけど、まあ、あんまり家がきれいに片付いているようなら商売はダメだあ!」
忙しく商売をしていると片付ける時間がない、という意味です。
そうは言っても、商売人ではない私のウチよりずっと片付いておりました。

この大友さん、納豆を作り続け、売り続けて63年。
はじまりは、かつて大友さんが「納豆屋のボクちゃん」と呼ばれていた63年前、13歳の少年の頃にさかのぼります。


<少年は自転車に納豆を積んで>


大友少年の父は、見よう見まねではじめた納豆作りをたった一年間で止めようとしました。しかしそのとき父は、息子である13歳の大友少年にこう聞いたのです。
「お前、納豆屋、やるか?」
13歳の彼は、あまり深くを考えることもなく答えてしまいました。
「うん、やる!」
たった1年でまだ軌道にのっていない「納豆屋」は、13歳の少年に託されました。
大友さんは言います。
「おれも男だよな。一度やると言ったからにはやるんだ、と決めて、それから自分でいろんなことを考えはじめた」と。
なにしろ納豆作りをはじめた父は、一年足らずしかその道におらず、そこから学べるものは皆無に等しい。大友さんは、納豆作りのノウハウも、商売として納豆を売るということも、なにもかもを自分で考えて実行していかなければならなかったのです。

 大友少年は自分で作った納豆を、自転車に積んで、「この納豆を毎日食べてもらいたい」という思いと「やると言ったからにはやる」、そんな思いとを胸に、毎日毎日、納豆を売り歩きはじめたのです。
毎日聞こえる納豆売りの声に、やがて近所の人は、納豆を売りに来る「納豆屋のボクちゃん」に声をかけ、納豆を買い求めるるようになっていきました。

 そうしているうちに、ある日「おい、納豆屋!」とか「ボクちゃん」と子供相手の愛称で呼ばれていた、その呼び方が変わったのだ、と大友さんは言います。
「はじめて『納豆屋さん』と呼ばれたんだよ」
「納豆屋」に「さん」を付けて呼ばれたときの、おどろきと喜び。それは、少年だった彼が、一人前だと認められたように感じた瞬間だったのです。
大友さんは瞳を輝かせて繰り返します。
「納豆屋さん!って声をかけてきたんだよ。呼び捨てじゃなくてさ」


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