昭和50年中旬ころ、「靴の修理なら道前さん」というのが大町人の当り前な会話だった。
むかしは、包丁研ぎ・・・失礼! スケート研ぎもやってくれたなぁ。
西小学校は、グランドに水をまいて滑っていたころだ。
研いだスケートはすべりが違う違う!タイムは400メートル滑ったら5秒は違うし、コーナーをするときのエッヂがしっかりつかめた記憶がある。
みんな余りの別人さに「どうして?」と思われても、その秘密は
「道前さんに研いでもらった」
なんて言えないよ。
みんなその頃、さび止めクリームを塗るだけの処置だけだから、そりゃ違うわな。
おかげでおいらは、スポーツ少年団に入れた。
ある胆振大会のレースで橋本聖子(小さいころの記憶だけど確かか?)を見たんだな。
苫小牧であった大会だけど、えらく早い女子高校生がおると評判だった。
彼女早来町(現在「安平町」)出身だから、胆振じゃエースだわ。駒大苫小牧だから見たよ!すげー早かった。
おそらく、この大会ではおいらヒレ蔵の年近くに「堀井学(室蘭出身)」もいるからその大会は彼も出ておると思う。
ウィンタースポーツは、スケートが主流だったんだな。
あのころは市営リンク(現在「伊達中学校」)もあったから楽しかった。
稀府町や関内町は田んぼがリンクだった。すばらしい環境だったんだわ。
てな具合で、
道前さんは手は確かな靴修理屋さん「伊達のゼベットじいさん」なのだ。
ヒレ蔵より
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