現役の時の私はあまり本を読まなかった。通勤に電車を使うことが無かったせいかもしれない。いまでは電車の中では殆どの乗客がスマホを見ているが、昔はみんな本か新聞を読んでいた。

その代表例のHさんは、『しばらく前から目の調子が悪いので、本は読まなくなった』と知らせて来た。幸いに私は老眼鏡は必要だが、まだ本を読むのに不都合はない。
そして中央区の図書館に本を借りに行く生活をしている。


「銀座百点」(80ページ)



最初に本ではないが、小冊子の話である。
銀座のタウン誌に「銀座百点」という伝統のある小冊子がある。
これは無料なのであるが、私がランチに行くような店には置いてない。

少し高級な店に行けば、だいたいどこでも置いてある。
内容は有名人の対談、エッセイ、情報などからなっている。
それをもらって帰り、寝る前に読むのが私の楽しみでもある。


「うなぎ百選」(45ページ)



ところで「本と小冊子はなにが違うのか?」と、変なことに疑問を持ってしまった。
そこでいつものようにネットで調べたら、「本とは表紙はページ数に入れず、本文が少なくとも49ページ以上からなる、非定期刊行物」という定義があった。「冊子に付いては5ページ以上、49ページ未満」とのことだった。

「なんでも定義があるんだなー」と、この年になって知ったことだった。
そうなると私が読んでいる「銀座百点」は80 ページもあるから、小冊子ではなく本に分類される。


 「日本橋」(89ページ)



11月号の記事の中に「言霊」というエッセイがあった。
私のブログは「写真付きエッセイ」のようなものなので、参考になるので本職の人のエッセイは好きでよく読む。今回は「銀座百点」に書いてあった話が面白かったので、ここで紹介をしたい。

私の知らなかった「試(げん)担ぎ」と「隠語」のことが多くあり、とても勉強になった。今でも夜店に行くと、「七色唐辛子」を売っている。最初にその口上の験担ぎの話である。


 「銀座界隈ドキドキの日々」(324ページ)



「七」は「質」や「死地」の音を避け、「七味」を避けて「七色」と言い換えている。
「質屋」は「七つ屋」、「硯箱」を「当り箱」、「スルメ」の「する」は「あたりめ」と言い換える。

「消し炭」の「消し」を避け、「おき」と呼ぶ。果物の「梨」は「ありの実」、動物の「猿」は「去る」を嫌い「エテ公」となった。「切る」、「去る」、「帰る」などの不吉な言葉を避ける習慣は、今でも祝宴での「鏡開き」、「お色直し」、「お開き」などに残っている。古来より言霊を尊ぶゆえの習わしである。


「運をつかむ人 運を逃がす人」(227ページ)



これらとは違うが。言い換えずに限られた世界で使っていた特殊な隠語が「最近では別の意味で使われている。

『平安の昔、公家が座って競った「揚弓」が江戸時代になると庶民の遊び「的屋」となり、音を変えて後に露天商を指す「テキヤ」となった。この矢場で放たれた矢を回収するのが「矢取り女」の仕事。客が遊んでいる間も、矢が足りないと商売にならないので、矢取り女は飛んで来る矢を避けながら手早く回収しなければならない』

『いわば裏社会で生まれた危ないことを「ヤバい」という隠語だが、発祥とお構いなく今では若者が違う意味で使っている』。
まだ続くこのエッセイは、とても面白かった記事である。12月号が待ち遠しい。


 「TSUKIJI](47ページ)



同じような小冊子に、築地本願寺から送られて来る「TSUKIJI」というものがある。
これは47ページなので、小冊子である。11月号には「意外と身近な仏教用語」というエッセイが載っていた。

「十八番」、「我慢」、「愚痴」、「金輪際」、「三昧」、「四苦八苦」、「夜叉」、「娑婆」、「シャリ」、「旦那」、「奈落」、「バカボン」、「不思議」などは仏教用語から来ているそうだ。

その中で「バカボン」は仏教用語の「婆迦梵」の訳語で、「覚れる者」だそうだ。
漫画家の赤塚不二夫は真宗門徒なので、「天才バカボン」を分かって描いていたようだ。


 月島図書館の本の消毒器



(おまけの話)
私は以前に通っていた中央区図書館に3つある中の「京橋図書館」が閉鎖となり、12月4日(日)に八丁堀に新しい図書館「本の森ちゅうおう」が開館した。オープンに先立ち午前8時30分からセレモニーが行われたが、どうしようかと考えた。

その日の午後1時30分からは荒俣宏氏の基調講演があり、それに気が付いて申し込んだ時は既に満席だった。
暇人の私はいつもはこんな失敗をしないのだが、今回はどうしたことか!

我が家から「本の森ちゅうおう」に行くには、マンション前から都バスに乗って「築地6丁目」で降りて、地下鉄・日比谷線に乗り換えて1駅の「八丁堀」で降りるとすぐである。


 オープン当日の「本の森 ちゅうおう」



家にいてもどうせなにもしないのだからと考えて、7時45分に家を出た。
現地に着いたら10分前で、入口で記念品のエコバッグを渡された。
8時30分になり式典が始まった。区長の挨拶、区議会議長の挨拶、図書館長の挨拶と続く。

その後、来賓の紹介の後に「一番太鼓」の披露があった。私は初めての経験だが、建物の完成時などには「一番太鼓」を打ち鳴らすことがあるようだ。
そしてやっとテープカットがあり、図書館のオープンとなった。


山本区長、他4名でテープカット



図書館は6階建てで、設備も近代的で、随所に新しい試みが取り入れられていた。
1階にはカフェがあり、屋上には芝生の庭園がある。
図書館内は随所に椅子が置かれていて、読書が出来る。
なかなか良い図書館だが、私が利用するには通うのに少し面倒である。

多摩地区の友人のYさんからまた『多摩格差が酷すぎる!』と言われそうだが、中央区は財政豊かなんだなあーと改めて思った。


 記念品で頂いたエコバッグ


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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

コメント

    Shinji
    Shinji

    言葉の元の意味についての記事は面白いです。天才バカボンは 英語の vagabond 放浪者、浮浪者、さすらい人、ごろつき、という語からの名前だとずっと思っていました。

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