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じもとブロガー
心の伊達市民 第一号
新聞のコラムだったと思うが、「四国遍路のお接待の話」が出ていた。
面白そうなので、そこに書いてあった「四国遍路の現代」という本を図書館で借りて来た。私は引退後に四国八十八ヵ所の霊場を、「歩き遍路」をしたいと思ったことがある。
しかしなかなかチャンスが無く、今になってしまった。
もう今では股関節が痛んでいるので、無理となってしまったのが残念だ。
その代りと言っては変だが、15年近く前にはミニサイズで秩父三十四観音巡りとか、都内の七福神巡りなどをしていた。旅行で四国に行った時は、その近くの霊場には行ったので、3~4ヶ所の霊場には行ったはずだ。
借りて来た本と自分で調べたところによると、四国八十八ヵ所は弘法大師に所縁があるお寺だそうだ。だからお遍路では菅笠に「同行二人(どうぎょうににん)」という文字が書かれていて、「弘法大師と共にお遍路をしている」という気持ちで歩くのだそうだ。
この本は「お遍路さん」に対する「お接待」の話がメインテーマである。
私にとっては「接待」という言葉は、あまり良い意味を持っていない。
現役の時に得意先の担当者を「接待する」ことが多かったせいか、そこには利害関係がある。
時には暗に接待を強要されたこともあるので、酒の飲めない私は接待は嫌いである。
ところが四国遍路の「お接待」は全く意味が違う。
この本には実際に「お接待」を受けた人達の経験から、場所、状況、金品などが書かれている。大勢の人達の投稿や自費出版本をもとに、「お接待」を学問的に研究した本でとても面白い。仕事上の接待相手には、接待する側に「知っている人」という条件がある。
お遍路の「お接待」にはそのような条件は無く、初めて会う「知らない」人達である。
「お接待」をする方の人は、「この人にお接待をしよう」という判断が必要となる。
しかも「お接待をさせて下さい」と、お遍路さんに申し出るのである。
それには「お接待の成立条件」が必要である。それは何か?
通り掛かりの人に「お接待をさせてもらう」のであるから、見た目で判断するしかない。場所としては遍路道、或いは札所近くで歩いていることが必要だ。
そして重要なのは「白衣」「金剛杖」、「菅笠」、「頭陀袋」、「輪袈裟」、「脚絆」、「納め札入れ」、「納経帳」、「数珠」などのお遍路必需品である。
本の中の話(1)。『バス停でバスを待っていたお婆さんが近寄って来て、黙って500円を差し出した。「ありがとう。でも大丈夫ですから」と言って受取りを辞退した。年金暮しらしいお婆さんには大金のはずだ』
『しかしお接待は断ってはいけない決りがある。お婆さんは悲しそうな顔をして、「あなたにあげるのじゃない。お大師様にあげるのだ」と言った。お婆さんは私の後ろにお大師様を見ていたのだと、後で知った』。
(2)『歩き遍路で八十八ヵ所を廻ろうとしている時に、疲れて日陰で休んでいた。そこへ軽トラックで通り掛かった人が、「乗って行け」と言った。「歩き遍路なので結構です」と言ったら、「お接待だから」と無理やり車に乗せられてしまった。仕方ないので、適当な場所で降ろしてもらい、もとの場所まで戻ってから歩き出した』という話も多い。
お接待をする側にも「楽しさ」、「修行」、「自分の代りに」などの事情があるようだ。日本中で四国だけにある「お接待」は、残したい習慣である。
お勧めの本だった。
(おまけの話)
今回の「お遍路」の話に使った写真は、高野山真言宗のお寺である。
それも都内にあるお寺で、割合に簡単に行けそうな場所を選んだ。
真言宗には大きく分けると8派あるようで、高野山真言宗、東寺真言宗、真言宗善通寺派、真言宗醍醐派、真言宗御室派、真言宗山階派、真言宗泉涌寺派、真言宗大覚寺派である。今回はいつもの「徘徊」ならぬ、私の「都内お遍路の旅」である。
ところで弘法大師と空海は同じ人物であることは、宗教に興味を持っていない人は知らないかもしれない。空海は774年生まれで、本名(俗名」は「佐伯 眞魚」というのも、私は初めて知った。遣唐使の留学生として中国に渡り、密教を学んだ。
そして帰国後は布教活動を熱心に行い、高野山に金剛峯を創建した。その後、835年に高野山で入滅したのである。空海が入滅して86年後の918年に醍醐天皇から、「弘法大師」という諡名(おくりな)が贈られた。
今では全国のアチコチに「弘法大師が見付けた温泉」など、弘法大師に関わる話がある。特に宗教と奇跡は相性が良いのか、世界の宗教には必ず奇跡がある。
「むしゃなび」に15日間にわたり「スペインの巡礼の旅」をした、伊達市のイコロ農園の寺島さんのブログがある。
彼には私の伊達市滞在中は大変にお世話になった。
だからというわけではないが、「スペインの巡礼の旅」も面白いので、そちらもどうぞ!
【スペインの巡礼の旅】・・・https://mushanavi.com/author/santiago/
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伊達季節移住のススメ 心の伊達市民 第一号
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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
引用元:洞爺湖周辺地域マガジン「むしゃなび」
https://mushanavi.com/author/jiyujin/blog2/see/entry-19728.html
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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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「御柱祭」という奇祭が長野県諏訪地方にある。7年に一度開催されるが、その間に諏訪の人たちは祭りに訪れた旅人を「お接待」するための費用を貯める。祭りを観に来た旅人を自宅へ呼び飲食をふるまい歓待する習わしがある。
有難い風習が今でも残っている諏訪を私は愛して止まない。