心の伊達市民 第一号

写真で見る東京(108)・・・両国界隈

葛西で「地下鉄博物館」を見た後に、久し振りに「両国」に行ってみた。
大相撲もやっていないし特に何かがあるわけではないが、なんとなく行ってみたのである。大江戸線の「両国駅」からはランチのためには、JR「両国駅」の方に行かないと店が無い。

JRの線路沿いに歩いて行ったら、高架下の壁にアートが続いていた。
古びて色も落ちていて、デザインもあか抜けない。


 JR「両国駅」近くの高架下のアート



駅近くになると高架下に多くの飲食店が並んでいて、何にしようかと迷う。
ある店を外から見たらサラリーマンでいっぱいで、肉を焼く炎が見えて美味しそうだった。いつもは「うどん」なのに、炎と煙に誘われて店に入ってしまった。

みんなの食べているものを見たら、「バラカルビ丼と冷麺」のランチセットだった。
私は両方は食べられそうにないので、「バラカルビ丼150g」にしたら790円だった。
すぐに出て来たバラカルビ丼はタレの味は良いのだが、肉が筋だらけで参った。


ランチをした高架下の「レストラン」



ランチを終えてJR両国駅で道路を左に曲がった。
道路際に「力士像」が立っている。反対側にもあり、数えてみたら6体もあった。
力士像は色々な土俵入りの形をしていて、台座には有名横綱の手形も貼り付けてある。
その時、私の横を浴衣姿の力士が2人、自転車に乗って通り過ぎて行った。さすがに「大相撲の町」である。

両国の地名は『1657年の明暦の大火で隅田川に橋が無く、多くの人達が焼け死んだ。そこで江戸幕府は「大川(隅田川)」に橋を架けた。隅田川の西側は武蔵国、東側は下総国であることから、人々はこの橋を「両国橋」と呼んだ。それが地名となった』のである。


 道路の両側には6体の「力士像」がある。



信号で道路の反対側に渡った。そこには「ちゃんこ 霧島」という名の店があった。
両国には「ちゃんこ」の店が何軒もあり、私も以前に家族で食べに来たことがある。

「霧島」は元大関の力士で、引退後は飲食店を開業し、「ちゃんこ店」2軒、「ジンギスカン」4軒、カウンターフレンチ1軒を経営している。なかなかの経営手腕である。
私は「霧島」の新橋店でジンギスカンを食べたことがある。

相撲は手をついたら負けになるため、「ちゃんこ」には四足歩行で手をついて歩く豚や牛は使わない。そこで手をつかない鶏を使う。


 元大関「霧島」の「ちゃんこ店」



TVニュースで「コストコ」の再販店を特集していた。
「コストコ」はアメリカの会社で「COSTCO」と書き、会員制の倉庫型小売店である。
コストコは大容量の品物ばかりなので、面白いことにコストコで買って来た品物を小分けして売る店があるらしい。

それが「コストコ再販店」で、値段は高くなるが商品は同じである。勝手にやっているので、コストコと関係は無い。両国にもこの店があることを知ったので、すぐに見に行ったのである。店は「霧島」の少し先を右に入ったところにあり、かなり小さい店だった。

家に帰ってから女房にこの話をしたら、『勝どき駅の近くにもあるわよ!』と言われてしまった。「灯台下暗し」とは、このことか?


「コストコ」の商品の小分け店「MON COST」



「京葉道路」を渡り「回向院」に行ったが、この話は(おまけの話)で。
家に帰るために、また大江戸線の両国駅に向かった。
帰りは違う道を通ろうと思いJR両国駅の前を通ったら、派手なネオンサインが見えたので、そこに入ってみた。

そこは「両国江戸NOREN」という施設で、飲食店と両国土産を売っている店があった。中央広場入口にあった派手なネオンサインは、「東京ドイツ村」とのコラボのオブジェだった。その奥中央には実物の土俵もあった。「ちゃんこ霧島」の店もあった。


 「両国駅」隣接の「お土産屋」



「両国江戸NOREN」を出て、正面に両国国技館を見ながら右に行く。
突き当りは「江戸東京博物館」で、現在は2022年4月1日から大規模改修工事のため、2026年の春まで休館になっている。休館中はコレクションを館外に貸し出している。「パリ日本文化館」にも貸し出したようだ。

私は休館前は1年に2度は行っていた。ここで展示されている江戸の町のジオラマが好きなのである。自分の誕生日は入館料が無料になるので、用事が無ければその日には行く。その他に、もう一度は行っていた。工事中の仮囲いにはお洒落な写楽作の「市川 鰕蔵の竹村 定之進」のイラストが描かれていて楽しめる。


 「TOKYO CITY CANVAS」の写楽のイラスト



(おまけの話)
さて「回向院(えこういん)」である。
歴史は古く1657年に開かれた浄土宗の寺で、「振袖火事」の名で有名な明暦の大火が関係している。10万人以上が焼け死んだ火事で、将軍・家綱が無縁の亡骸を手厚く葬るように建てられたのが回向院の始りである。

その一方で忠臣蔵でお馴染みの四十七士が討ち入り後、休憩を取るために回向院に行ったが断られた。その時の住職は関わりになるのを恐れて、門番に開門をさせなかった。
四十七士は仕方なく永代橋まで行き、味噌屋の乳熊屋(ちくまや)で休憩をした。

乳熊屋の初代作兵衛は赤穂浪士の一人大高源吾とは俳諧の友であったことから、赤穂浪士が討ち入りし、めでたく本懐を遂げ泉岳寺へ引き上げる途中、一行を店に招じ入れ甘酒粥を振る舞って労をねぎらったのである。


 諸宗山「回向院」の入口



回向院には「鼠小僧次郎吉」の墓がある。
鼠小僧次郎吉は1795年生まれで、江戸時代後期の泥棒である。
彼は大名屋敷のみを狙って盗みに入り、人に傷を負わせることもなく、金を貧乏人に分け与えたことから、義賊として伝説化された。

盗んだ金は現在の貨幣価値に換算すると、約3億円にもなるそうだ。次郎長の墓石を削って持ち帰ると、金運に恵まれるという話が江戸時代からある。次郎吉の墓の前には、大きな石が置かれている。この石は「欠き石」と呼ばれ、ファンが墓石を削って金運のお守りにしてしまうので、墓石を削らないように代わりの石を置いてあるのである。


 回向院には「鼠小僧之墓」がある。



「鼠小僧の墓」の隣には「猫塚」がある。これにも落語に面白い話がある。
ある時、金さんは7、8年前にゴミ為に捨てられた子猫を拾って「駒」という名を付けて可愛がっていた。毎晩、駒に魚をやり、駒が美味しそうに食べるのを見ながら酒を飲むのを楽しみにしていた・・・』

『博打で三両すった金さんが夜中に目を覚ますと、枕元に小判が三両あった。正月2日に贔屓の旦那のところへ挨拶に行くと、「大晦日に三両がなくなった」と言った。そして続けて「昨夜、座敷でガタガタと音がするので行ってみると、猫が箪笥を開けようとしていた。そこで皆で棒で叩いたら死んでしまった・・・」

『金さんが死んだ猫を見たら「駒」だった。金さんが旦那に事情を話すと、「金さんへの恩を忘れない立派な猫だ。回向院にねんごろに葬ってやれ」と、金さんに五両を与えた』という「猫の恩返し」の一席でした。


 猫の恩返しの「猫塚」

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コメント

  1. コストコ再販店(Y)

    コストコ再販店(Y)

    返信

    豊田にあるイオン多摩平の森店は、老人の憩いの場所であります。今日も多くのお年寄りが暑さを避けて談笑しておりました。フードコートには空席が無い程に埋まっており、特に食事やお茶を飲むためでなく唯々おしゃべりに花を咲かせているばかりです。そんなイオンのエスカレーター脇の通路に「コストコ、、」の看板があり不思議に思い覗いてみたら、「コストコ再販店」でありました。いつもお嫁さんが買ってくる大袋に入った小さなパンが10個ずつの袋詰めになって販売しておりました。
    値段を見た訳でもないのですが、歳を取って車も無く遠くのコストコ店へ行けない人にはうってつけの販売でしょう。多くのご老人が並んでおりました。イオンもしゃれたことをするものですね。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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