今回の主人公は
「薬草とオリーブを育てるチャレンジャー」木村佳晶氏。
豊浦町で薬草を育てながらオリーブ栽培に挑戦している男である。
彼は人生の流れを感じながら、人の縁を大切に生かしてきた。

そしてその穏やかな人当たりの内側には、
熱いファイティングスピリットがあるのを確かに感じた。

札幌から広島へ

木村さんは札幌出身。
整備工だった祖父の影響を受けたためか、大学を出たあとの就職先はエンジンなどの機械類に囲まれた仕事場をイメージしていた。
そんな中、内定をもらった広島県呉市の海運会社に就職を決める。

「北海道からできるだけ遠く離れて暮らしてみたい。」

という思いもあったから、内定先で一番遠い広島の会社を選んだ。


若手時代(2009年)

海運業など、右も左もわからない中、総務から営業まで色々と仕事を担った。

呉市といえば、昔から海運業が盛んな瀬戸内の都市。造船業もしかり日本の船舶の重要拠点である。
広島弁やこの会社の仕事にも少し慣れてきた頃の入社3年目のこと。
彼は社長に呼び出されて特任をまかされる。

それが多角経営化と地域貢献事業の目的を兼ねた「オリーブオイル事業」であった。

任された新事業は苦難の道

今でこそオリーブの収穫量は増えてきたが、広島県は当時ではまだ発展途上の産地。
木村さんもまたしても全くわからない農業という世界に飛び込むことになり、また一から学ぶことになる。

そこでまずは、社長の人脈で小豆島でオリーブ事業をやっている会社で1年間、オリーブ栽培や事業経営を学ばせてもらい、その後この新規事業を呉市と江田島市でスタートさせる。

しかし地域活性の目的ということもあり、市民・行政を巻き込んだこの事業は当初はかなり難しいスタートになりそうだった。


江田島時代の仲間と(2013年)


地元の新聞掲載記事


ただ木村さんは新しいことを学ぶことは好きだった。

彼はオリーブオイルソムリエの資格をとりながら、イタリア、スペイン、トルコ、モロッコ、オーストラリアなどのオリーブ産地を視察して周った。

すると木村さんは、オリーブの樹が温暖で穏やかな瀬戸内のような環境以外でも、高地や乾燥地など厳しい自然環境下でたくましく育っている事を目の当たりにする。

「(ワイン原料のぶどうである)ピノ・ノワールが採れる土地ならオリーブの木も育てられる」

というイタリアのオリーブ研究者の話も聞くと、

「もしかしたら北海道でもオリーブ畑を作れるのではないか?」

という考えがなぜか頭をよぎったという。

折りしもそれはちょうど2010年頃。当時北海道がワイン生産地として注目され始めた時期に重なっていた。


豪州にて(2010年)

しかしそんな夢みたいなことは頭の隅に追いやられ、木村さんは現実の厳しい会社経営に向き合わざるをえなかった。

そのプレッシャーの中で、彼は徐々に体調を崩していった。

本当にやりたいことは何?

オリーブオイル事業は4年、5年と経ち、6年目を迎える。
経営を早く軌道に乗せたい経営陣からは毎回の会議で檄を飛ばされる。
現場スタッフとの板挟みになる立場だった木村さんはすっかり参ってしまい、ついには身体が言うことを聞かなくなってしまった。

そんなときに、寄り添ってくれたのが今の奥さんだった。

そしてふたりはこの大変な時期に入籍をする。

自分の生き方を見つめなおすため、、会社には長期休養を申請した。
社長は「いつでも帰ってきなさい。」と言ってくれていたのがせめてもの安心だった。

そして休養すること数ヶ月。

ある日、彼は突然

「山に登りたい」

と奥さんに呟いたらしい。

その頃の経緯は奥さんに聞いた話で、本人はよく覚えていない。
心が疲れ果てていたのであろう。

そこで二人は石鎚山(愛媛県)を登った。
修験道でもある険しい日本七霊山のひとつである。


石鎚山にて(2014年)

その山小屋での話。

「それで君はこれから何をしたいのかね?」

という誰かの問いかけに、彼は

「北海道でオリーブ畑をやってみたい。」

と口にしたのである。

初めてそんなことを聞いて驚いた奥さんは、到底そんな夢物語に付き合うつもりはなく反対をした。

しかし彼にとっては、はっきりと自分の口から出てきたその自分の夢は、思い起こせば世界を周ったときに心にしまっていた確かな心の声であり、単なるその場での思いつきではなかった。

そこで彼は、「中途半端な計画なら北海道には行けない」と反対する奥さんを説得するために、北海道での就農のためのいくつかの条件を揃えることを約束して北海道に向かうのであった。


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北海道での挑戦

北海道でオリーブ栽培を実現させること。
未だに日本のオリーブの北限は、宮城県あたりと言われているので、それは大きな挑戦である。


木村さんは、まず気象庁の公開情報を入念に調べ、北海道各地の降水量や日照時間、積算温度などのデータを集めて比較し、オリーブ栽培の適地を探し始めた。
ただ、北海道では前例のないこの試みに対して大学や各研究所、役場などの対応においては冷ややかで、適地探しは困難を極めた。

そんな中、木村さんは豊浦町で薬草栽培農家が事業継承を希望しているという情報を入手した。

奥さんとの北海道就農計画の条件としては、まず「生活のための基礎収益の目処を立てること」があったが、事業継承の話はその条件を満たせそうであった。
いくつかあった農家の事業継承の話の中でも特に人の命を支える薬を作る薬草栽培に興味を持ち、、そして何よりもその農家の親方の誠実さに魅かれたことから、彼はこの話を進めることにした。

薬草とオリーブと

ということで、
1年かけて北海道に奥さんを迎えられる準備をし、彼は薬草農家の道を歩みながらオリーブ栽培を試みることになったのである。

こうして2年間の研修期間を経てその後6年経った今、彼は製薬メーカーに薬草を供給する親方の会社の副社長という立場で現場を切り盛りしている。

家族も今は4人の子どもたちが増えて6人になった。
奥さんと協力しながらの忙しい子育ても充実している。

一方でオリーブ栽培はというと、豊浦町を中心に、寒冷地に適した品種と栽培手法を確立すべく試行錯誤を重ね、様々なスタイルで試験栽培を続けている。

実をとってオイルが取れるようになるまでは、越冬や施肥技術など、まだまだクリアしないといけない課題が山積してはいるが、2020年にはオリーブの葉の成分から製造する化粧品を開発し、販売をしはじめた。肌の弱い奥さんが考案した商品である。

北海道オリーブの挑戦はまだ始まったばかりだ。



木村さんは言う。

「北海道の農産物も年月の改良を重ねて美味しいものになっていった。その背景には先人の努力と挑戦があったから。だから自分も今までの縁や恩を感じながら、その流れの中で生きていく。」


さらに

「自分達が育てた薬草は薬となって人々の命を繋いでいる。オリーブの製品では数多ある製品の中から自分達の商品を購入してくれるユーザーがいてくれる。こんなふうに人々の健康を支え、そして何よりも喜ばれているということを幸せに感じながらこれからも挑戦していきたい。」

と続け、最後にはまた挑戦者の顔つきになってそう話をしてくれた。


薬草畑にて(豊浦町)

木村さんの情報


ポッドキャストは音声配信

木村さんの配信している人気ポッドキャスト。

【Spotify】
https://open.spotify.com/show/7AhkPG7CSwiGVl9T0O7G0Q
【Anchor】
https://anchor.fm/yakusouenkara

薬草の興味深い話が楽しく語られる。


桜農園 SAKURA FARM & Co.
代表 木村 佳晶
北海道虻田郡豊浦町字桜

yo.kimura1984@gmail.com

 


(2022年12月取材)


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