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[2011.01.24]
■4回目の引っ越し
引っ越しの話である。 
私の最初の引っ越しは大田区雪谷から小金井町であった。 
その時の私はまだ幼稚園に入る前だったので、記憶にない。 
 
2回目は同じ小金井の中での引っ越しである。 
オヤジが工場を経営していたので、そこから少し奥に行った広い場所に移った。 
私は小学3年生だったので、学区外だが元の小学校に通っていた。 
 
私の書斎兼寝室 (7.5畳) 


3回目は結婚した時である。 
この時も同じ小金井の中で、今も住んでいるこの場所である。結婚と同時に家を新築して、新婚生活が始まった。 
 
ここで子供が生まれ、仕事を続けて来た。 
その間には色々なことが起き、私の人生の大半を過ごした思い出の土地だ。 
 
リビング兼ダイニングルーム (22畳) 
 
私も高齢者の仲間入りをしたので、もうこの場所で人生を終えるのだろうと漠然と思っていたら、そうはならなかった。 
女房が、『娘と一緒に住もう』と言い出した。 
 
特に反対する理由もないし、変化が大好きな私は賛成した。 
 
元料理研究家のキッチン (6畳) 
 
この際だから、どうせなら都心の高層マンションに住もうと考えた。そして、娘の通勤も考えて場所は中央区勝どきに決めた。 
 
今は新しい住まいでの生活が待ち遠しい。 
そこではいつもの小金井と違い、目新しい場所で徘徊が始められるからだ。 
 
もうこれが最後の引っ越しとなると思ったら、もう1回残っている。5回目に引っ越す時は、アチラの世界へ行くことになるということだ。 
 
2階へ(高齢者用手すりがある) 
 
(おまけの話) 
都心に引っ越すには、住んでいた家を売らないといけない。これが簡単ではなかった。 
自分が気に入っている家だから、他人も気に入ってくれるはずだと思っていた。 
 
ところが不動産会社が広告を出しても、見に来る人が居ない。 
たった1人見に来たお医者さんの奥さんも、『素敵な家ですねー』とは言ったが、予算が合わず買ってくれなかった。 
 
この玄関から出て、新しい引っ越し先へ 
(鏡に映った裸婦像も寒いのでマフラー) 
 
不動産会社の営業マンと話し合って分かった。 
土地が広すぎて、総額が高過ぎてしまうのである。 
この辺りで売れる家は、土地面積が30坪以下だそうだ。 
 
そこで引越しのこともあるので、やむを得ず建て売り業者に売却した。 
この土地は3~4分割されて建て売り住宅が建つのだろうと思うと、私の人生が切り売りされるようで、寂しい。 
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▼コメント(1)
名前:shinji  2011.01.24 13:00:58
43年も住み、しかも人生の主要な時期を過ごした土地と家を離れるのは、ましてや、建売になって分割されることを思うと、さぞかしつらい思いがあることでしょう。  
しかし人生は常に変転です。方丈記にあるように、行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、です。橋本さんはいつもその時の状況の中での、ベストを選んで生きてきたのだし、今回もそうしたのですから、それが最高の生き方で、悔いはないと思います。都心での生活が待っています。 ドキドキですねー。 

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プロフィール
心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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