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[2007.10.17]
■お別れに餅をつく
伊達市を去る日が近付いてきた。『なにか最後にイベントをやりたい』という希望を入れて、イコロ農園のTさんが、『お別れ餅つき大会をやろう』と提案してくれた。 
 
黄金縄文祭りと壮瞥神社の秋祭りで『餅まき』が気に入っている私達にはうってつけのイベントである。 
『10月7日(日)の午前10時半から飽きるまで』という案内に応えてくれた25人がイコロ農園に集まった。餅はつくのに大変な体力が要る。 
 
そこで巨漢HさんとSさんは欠かせない。Kさんは『餅はこねるのが難しい。これを巧くやらないと、つく時に米が撥ねてしまう』と講釈を言う。子供の頃に餅をついた覚えのある人が多いので、講釈を言う人が多い。でも私は経験が無いので、何も言えない。Sさんは『電気餅つき器という便利な物があるんだから、餅つきの写真を撮ったら、後は機械でやろう』なんて無粋なことを言う困った男だ。 



昨年製作したレンガの炊飯窯の調子が良く、餅米がすぐに炊き上がる。それを急いで木臼に運んでこねる。こねる役はやはりHさんが年季が入っている。 
全部で8キロの餅米を用意したが、次々とつき手が現れて餅が出来上がって行く。 
でも主役はやはりHさんとKさんである。昔とった杵柄とはよく言ったものだと思う。 
 
つき上がった餅は大根おろし、納豆、あんこ、きな粉などを付けて食べる。 
みんなが色々な物を持ち寄ってくれるので、食べ物は豊富だ。女房はお汁粉や中華スープも用意した。終りの時間は『飽きるまで』ということになっていたが、餅は意外に食べられない。 
 
午後2時になり、もう食べられないので終りとなる。 
これで私の伊達滞在中のイベントは全て終った。もしかして、みんなホッとしているのかもしれない。私達が帰った後は、伊達の町も元の静寂を取り戻すのだろう。 
 
 
(おまけの話) 
昔はモチは暮れにしか売っていなかったが、今はサトウの切り餅が一年中売られている。 
私の家は工業だったので、子供の頃から餅つきはやったことがない。近くの和菓子屋の岸田屋に頼んでいた。 
 
暮れに岸田屋から届いたモチを切り分けるのが楽しかった覚えがある。なかなか大きさが揃わない。 
正月まで待ち切れないで暮の内にかなり食べてしまうので、もう一度注文をする。 
正月が終り、硬くなった餅はカビが生えて来る。そのカビを落として水に浸けておく。 
 
1月後半になってもそのモチを取り出して、焼いて食べた。餅は焼いた後にノリを付けて食べるのが好きだ。女房は醤油を付けた後に、また焼く。 
そして醤油をまた付けて焼く。これは旨い。でも、トースターが傷んでしまう。だから我が家ではしょっちゅうトースターを買っている。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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