■Kさんの東京見物記(その1)
ゴールデンウイークが終ったら伊達市からKさん夫妻がやって来た。 Kさんはイコロ農園に五右衛門風呂や飯炊き釜を作る時に、本職の築炉家として大いに貢献してくれた人である。
いつもニコニコとしていて、誰からも愛されていて、私は彼を尊敬している。私もこんな年寄りになりたいと願っているが、なれそうにない。
Kさんは東京にはあまり縁が無いという。
田舎に住んでいると、親戚が東京にあるとか、仕事の用事があるとか、皇居の清掃のボランティアでもなければ出て来る機会は殆ど無い。
そこで私はお世話になっているKさんに、『私が東京に居る間に夫婦で東京見物に来ませんか?』と誘ったのである。
飛行機とホテルがセットになっているチケットを手配するように連絡し、ホテルは私が便利な新宿の京王プラザホテルにしてもらった。
来るまでが大変である。娘さんは『両親は高齢だし、田舎者なので心配だ。東京じゃ電車の乗り方も分らない』とまるでボケ老人扱いだ。
私はメールを出した。『ここは日本ですから日本語も通じる。携帯電話もあるのだから大丈夫だ。そんなに世話を焼くと呆けますよ』・・・と。
そんなKさん夫妻の為にイコロ農園のTさんは2人にSUICAを貸してあげた。
でも、切符しか通用しない伊達から来る人にはSUICAは更に難しいと思う。
羽田空港まで出迎えるつもりが、中国から胡錦涛国家主席が来日するというので、首都高速道路は交通規制をされて迎えに行けなくなった。
私にとっては胡錦涛国家主席なんて会ったこともない人よりはKさんの方が重要である。そこで仕方なく新宿駅での出迎えとなった。
心配しないように、それまでに何回もメールと電話で打ち合わせをしている。
予定時間の午後2時30分に元気な様子で西口の改札口を出て来たKさん夫妻を見て、やっと安心した。
これから4日間の東京滞在のお世話をする小金井観光社の私の出番だ。
この旅の模様はシリーズでお届けしようと思っている。
(夕食) 新宿で、カウンター天ぷら『船橋屋』
(おまけの話)
京王プラザホテルが完成したのは今から40年以上も前のことである。
そこは元淀橋浄水場の跡地で、ここに最初に建てられたのが京王プラザホテルであった。
その京王プラザホテルから派遣されてニューヨーク世界博覧会に行き、一緒に働いた男にKさんがいる。
そのKさんはプロのウエイターで仕事には厳しかった。
彼は英語が苦手だったせいか、或いは他の理由でか、ニューヨークに滞在中は私はよく彼にマージャンに誘われた。
賭けのレートはかなり高かったが、学生時代に揉まれて強くなっていた私には良いお客様であった。
休みの度に誘われたが、私はニューヨークにマージャンをしに来たわけではないので、3回に1回くらいしか付き合わなかった。
そんな彼も帰国後は営業をさせられて、度々私に電話をしてきては京王プラザを使ってくれるように頼んで来た。
苦労をしているKさんの為に、私は京王プラザホテルで大きな宴会をやったり、小さなパーティをやったり、高額なディナーショーのチケットを買ってあげた。
今ではニューヨーク時代のマージャンの儲けはそれで返したと思っている。