伊達発

アメリカ大西部 (アンテロープキャニオン)

心の伊達市民 第一号

心の伊達市民 第一号伊達季節移住のススメ

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

(2014年10月01日)

この日は珍しくアンテロープキャニオン観光から10分程のところにホテルがあった。
でも相変わらず午前6時にはモーニングコールがある。
8時にバスに乗り、先ずは近くのナバホ族の経営している土産物店に行く。

このトラックでナバホ族のオバちゃんが疾走するので怖い。 ここは洪水の時の川底である。

 

時間になると、2列に横座りのトラックに12人が乗せられる。
ナバホのオバちゃんの運転で目的地のアンテロープ・キャニオンに向う。

町を抜けて砂漠に入ると、赤茶けた広い砂地を猛烈な勢いでオバちゃんはトラックを飛ばす。
10分程で突き当りに到着する。そこがアンテロープの洞窟の入り口だった。

洞窟入口に観光トラックが集合。  ナバホ族以外の一般車は立ち入り禁止区域である。

 

1組10名ほどのグループに分かれ、続いて洞窟に入る。
上から差し込む太陽の光が漏れて来るので、歩けないほど暗くはない。

人がすれ違うのがやっとの場所が多く、大勢の外国人観光客が来ている。

ここまでは中国人観光客が来ていないのが救われる

ここがアンティロープの入り口。

 

この洞窟はロッキー山脈が隆起して出来た台地で、大昔から雨が降った時に柔らかい砂岩が水の勢いで削られて出来たものだそうだ。
いつもは乾燥している場所だが、たまに降る雨が鉄砲水としてこの中を駆け抜ける。

見物客が多いので、立ち止まってゆっくりは撮影出来ない。

 

その水により削られて、時々、その姿を変える。
ここでも自然が作り出した造形美に圧倒される。

ここに来るのは正午の太陽の光が真上から洞窟に差し込む時間に来るのが一番の見頃なのだが、団体旅行なので、そういう自由が利かないのが残念だ。

自然の造形美が素晴らしい。

 

観光客が多くて三脚ダメ、フラッシュ禁止なので、洞窟全体像の撮影が出来ないので、上の方ばかりの撮影となる。
するとナバホのオバちゃんが撮影ポイントに来ると、我々のカメラを取り上げてサービスで自分でカメラを上に向けて撮影をしてくれる。 これは私には少し迷惑だ。

確かにオバちゃんの撮った写真は良いポイントを写している。
驚くのは、そのオバちゃんが「スマホ」だろうが、「バカチョン」だろうが、「コンパクトデジカメ」だろうが、私のような「一眼レフカメラ」でも、どんなカメラでも使いこなしてしまうのである。これには私も驚いた。

見物客が多いので、人物を入れない写真は天井方向となる。

 

私は帰りにチップを10ドル渡したが、他の人達は誰もチップを払わない。
団体旅行の嫌なところは、こういうところにも出ている。
これじゃ、オバちゃんは日本人観光客が嫌いになってしまう。

その後、次の目的地である「ザイオン国立公園」に向かう。

 

(おまけの話)
ネバダ州に来て「義経伝説」を聞かされるとは思わなかった。義経は「東北に逃れた後にエゾに渡りアイヌとして生きた」とか、「大陸に渡りジンギスカンになった」などの説があるが、実はこれ等の説は間違いである。

 

ガイドの説明では「実は義経はナバホ族の酋長になった」、「その証拠は遺跡の中から室町時代の日本の遺品が発掘されている。また、ナバホ族のDNAを調べると、日本人と殆ど違わない。毛髪などはDNAが同じである」などともっともらしく話をする。

 

中には自分の先祖は日本人と思い込んでいて、日本語を一生懸命に勉強している若者もいるというから驚いた。(本当かなー?、ガイドはサービス精神が旺盛だったからなー)

更に「日本語のアッチとかコッチは全くナバホ語と一緒であり、そのような言葉は沢山ある」と驚くべき説明があった。そう言えばお土産屋にいたナバホ族のオバちゃんは、青森の田舎に居そうな顔付だった。

義経がアメリカにどうやって渡ったかの説明は無かったが、この新説は旅を更に楽しくしてくれた。

今日の「お気に入り」の1枚。

 

 

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