心の伊達市民 第一号

心の伊達市民 第一号伊達季節移住のススメ

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

私のブログのファンであるSさんから、メールが届いた。
そして『橋本さんのブログで好きなジャンルは、「人生いろいろ」です。人は1回しか生きられないけれど、他人の人生を俯瞰するのは年をとった人に与えられた特権です。
順風満帆で行った人、どこかでこけた人、ええ~、あの人が?とか】

レストラン「新宿ライオン」

彼の生き方は「誠意を込めて、自分らしく慎ましく、しかも気高くという姿勢が理想」であるそうだ。これがなかなか難しいのが現実だ。
今までに「人生いろいろ」を、7回書いた。
今回が8回目であるが、生きている人や、このブログを読む可能性のある人の人生を書くわけにはいかない。書ければ、面白い人が大勢いるんだが・・・。

派手なサンプルが「これでもか!」と並べられている。

今回、登場してもらうのはXさんで、生きていれば98歳であるからもうアチラに逝っていると思う。Xさんと知り合ったのは、私が所属していたゴルフクラブだった。
知り合った頃は私が40歳代で、Xさんは丁度20歳年上の60歳代だった。
彼は日曜日と休日には、必ずゴルフ場に来ていた。

シルバー色のベンツのスポーツカーを自分で運転し、元気溌剌だった。
夏でも冬でも常にトップの午前8時のスタートを予約していて、私も仲間に入れられた。
負けず嫌いの人だったので、20歳も若い私とハンディキャップ無しで賭けるのが常だった。
私の方が飛距離は出るが小技が下手だったので、勝ったり負けたりの良い勝負だった。

彼は若い頃は、当時は日本領だった台湾の日系デパートの洋品部で働いていたそうだ。
戦後になり自分で事業を起こし紳士用のオーソドックスな高級シャツを製造販売し、デパートやホテルにも店を出して繁盛していた。
しかしファッションには流行があるし、客層も変り商売も段々と不調になって行った。

「ライオン」は、もともとは昔からのビアホール。

跡取りに息子が2人いたが、どちらも頼りにならないようだった。
そしてある時、Xさんは私に言った。「時間が取れる時に会社に来てもらい、息子に経営の話をして欲しい」。私は「そんな大それたことは出来ない」と断ったが、強引に頼み込まれて会社に行って2人の息子と話をしたことがある。
でも私の感触では「オヤジの会社を継ぐのは無理だ」と思ったが、それは言えなかった。

その後、私はここへ引っ越して来たのを機会に、そのゴルフ場の会員権を売却した。
一時はその会員権は1億2000万円もしたが、私の売却した時はたったの350万円だった。
引越ししてからしばらくして、Xさんの会社の近くに行ったので、様子を見に行った。
すると既に会社は無くなっていて、他の業種の会社が入居していた。
その後のXさんの消息は不明だが、「人生いろいろ」である。

(おまけの話)
ファッションというのは流行り廃れが激しい。
「ワンサカ娘」のコマーシャルで有名だった、「レナウン」も無くなった。
Xさんの会社ではXさんがデザイナーだったが、息子にそのセンスは無かった。
80歳になってもデザイナーがXさんでは新しいデザインも出せず、時代に取り残されて会社は潰れるしかなかったと思う。

銀座天国の「お昼の天丼」(1400円/税込み)

 

彼は常に姿勢が良くキビキビした態度で、全く年寄り臭くなかった。
私もXさんの年になったら、「ああなりたい」という見本のような男だった。
彼の言った言葉が耳から離れない。「橋本さんな~。年をとった時の夫婦円満の秘訣はな、なるべく接触時間を少なくすることだよ」。全くXさんの言う通りで、私は今では彼の教えを守って生活している。

有楽町ニュートーキョーの「ステーキ・ランチ」(1000円/税込み)

Xさんも段々と老いて来て、ある時、スタート時間に来なかった。
遅れて来たXさんに理由を聞いたら、高速道路の料金所で前の車に追突してしまったそうだ。
その頃からハンデ無しで私と競うのは無理となり、私がXさんにハンデをあげるようになった。

一番の思い出は、戦争に関することだった。
私が戦争の話を出したら、それまでのXさんが豹変して「戦争の話はしたくない」と言った。
きっと戦争の時は、思い出すのも嫌な経験をしたのだろうと思う。でも聞きたかった。

銀座アスターの「海鮮焼きそば」(2200円+税)

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