伊達発

親孝行したくないのに親がいる

心の伊達市民 第一号

心の伊達市民 第一号伊達季節移住のススメ

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

最近読んだ本に「世界葬祭辞典」というものがある。
私の場合は手当たり次第、題名だけで本を読む悪い癖があるようだ。
この本は私の予想に反してかなり専門書に近く、少し持て余した。

しかし他の本と違い序説が一番面白く、【最近は「親孝行 したい時に 親はなし」ではなく、「親孝行 したくないのに 親がいる」】という解説が的を得ていて可笑しかった。

「世界葬祭辞典」・・・★

 

私の父は今から54年も前に亡くなっている。母は22年前に亡くなっている。
親孝行に関して言えば、私は父にはほとんどしていない。
あまりに早く56歳で亡くなったので、親孝行をする時間が無かったのである。
「人は必ず死ぬ」とは分かっていても、自分の親は死なないような気がしていた。

ブラジルに向かうサントス丸の船上の私のオヤジ      (85年くらい前の写真)

 

そこで父に出来なかった分を、母に親孝行をしようと思った。
しかし「なにが親孝行か?」が分からなかった。
会社経営を学ぶ時間も無く父は逝ってしまったので、私は素人経営で苦労した。
経営が分らないので仕事が忙しく、また結婚をしたこともあり母親孝行を出来なかった。

我が家の愛猫「ペッパー」は狭いところが好き。野良猫だったので、親は分からない。

 

しばらくして落ち着いて来たので、母親をハワイ旅行に誘った。
ところが根っからの倹約家だった母は、「もったいない」と言って断った。

私は以前に父が元気な頃に、母をハワイ旅行に誘って断られたことを知っていた。
父が亡くなった後に母は、「あの時、ハワイに一緒に行っていれば・・・」と後悔していたのを知っていたからだ。

コロナで亡くなった「志村けん」の日本酒入荷。

 

倹約家の母に親孝行をするのは難しい。
忙しい私は普段の生活では、なかなか親孝行が出来ない。
せめてと思い、別居していた母には女房から美味しそうなものを届けさせていた。

母は倹約家だったので、自分では買わない本マグロの刺身などを喜んでくれた。私は母に「もう残りの人生は長くないので、美味しい物を自分でも買って食べて」と言ったが、最後までそうはしなかった。

「はとば公園」のモニュメント(築地)

 

そしてしばらくして、私は母を香港旅行に誘ったのである。
その時は生まれて初めての海外旅行で、母がとても喜んだのを覚えている。
そしてまた「あの時、お父さんとハワイに行っていれば良かった」と後悔していた。

その後、母の友人達は次々とお先に逝ってしまい、母は友人がいなくなってしまった。
最後の方では「つまらない」が口癖だったが、ある日の朝にトイレに起きて、ベッドに戻る途中で心臓発作で亡くなっていた。

8丁目のサイン(銀座中央通り)

 

私のことだが、心配がある。
体のアチコチが少しずつ悪くなって行くのが分かる。
しかし決定的な悪いところは無い。心配は「長生きし過ぎる」ということである。
読んだ本の序説にあるように「親孝行 したくないのに 親がいる」が私のことになるのを恐れている。

近年は犬も高齢化で乳母車に乗る。

 

(おまけの話)
先日、「チャップリンとヒトラー」という本を読んで以来、チャップリンのことが気になっていた。
彼の言葉に映画人らしく「Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot」というのがある。

日本語では「人生はクローズアップで見ると悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇である」であるが、果たして私の人生は喜劇だったろうか?
冷静に自分の人生を見つめ直すと、チャップリンの言うことが正しいようだ。

「チャップリンとヒトラー」・・・★★★

 

私とオヤジとの関係で、一度だけチャップリンに関わったことがある。
それはチャップリンの映画「ニューヨークの王様」を日比谷まで見に行ったことである。
日本で映画が公開されたのは1959年とのことなので、私が高校生の時だったらしい。

今では粗筋さえ覚えていないので、ネットで調べて驚いた。
アメリカの「赤狩り」に対する強烈に皮肉なストーリーだった。
オヤジはあんな映画が好きだったのか?、それとも筋書きも分からずに見に行ったのか?
今になっては、もう分からない。

散歩の犬も疲れたら乳母車に乗る。

 

自分の親孝行ではなく、オヤジの親孝行に付いて考えてみた。
オヤジは若い頃にたった1人でブラジルに渡り、ずいぶんと色々な経験をしたようだ。
私から見れば、いわゆる波乱万丈の人生で親不孝者とも言える。

結婚をして独立し、仕事も順調になり親孝行をしたいと思ったのか、私は時々、用事を言いつかった。
それは立川の中華料理店で「鯉の丸揚げ甘酢餡掛け」を買って、八王子のオヤジの父に届けることだった。
オヤジは私を使って、やっと親孝行をしたのである。

最近だが、マンションの1階に出た「キッチンカー」

コメント

    • Shinji
    • 2021.05.11

    息子が父親と面と向かって話せるようになるには、息子がかなり人生経験を積んでからになるでしょうが、その時にはもう親父はこの世にいない。今なら親父と腹を割って話せるのに、と最近思うことしきりです。ましてや、Hさんのようにおやじさんが56歳で亡くなってしまったのなら、心残りでしょう。

    • 信濃 征太郎
    • 2021.05.11

    親孝行はほとんど出来ませんでした。それらしいこともやりませんでした。ひどい迷惑もかけなかったからそれでよかったと思うよりないですね。 年齢を重ねるとともに体のあちこちから軋みが発生してきます。あちらが良くなるとこちらが、といった具合にして止まることがありません。これくらいならまあいいか、と慰めつつ下り坂を進んでいます。