伊達発

豪雪の旅(4)・・・・・雪の秋山郷

心の伊達市民 第一号

心の伊達市民 第一号伊達季節移住のススメ

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

ブログ閉鎖中の話題(2015年2月17日)

津南町は長細い町で、雪崩で孤立したのは奥の方の部落だと分かった。
そこで、バスに乗って奥を目指した。乗客は最初から最後まで、私だけだった。
運転手に教えてもらい、「結東(けっとう)」というバス停で降りる。

津南町の中心部から奥へ進むバスは、すれ違いも出来ない険しい山道を進む。

 

この辺りが孤立した部落だそうで、民家も10軒も無いような寂しい村落である。
でもこの辺りでは大きな集落で、立派なバス停があった。
近くには廃校となった小学校が旅館になっているが、冬の間は閉鎖されている。

結東の雪に埋もれる部落の民家。

 

豪雪は全ての物のを飲み込んでしまう白い魔物というのが、ここへ来てそれが良く分かる。
村人に出会うことも無い。静寂だけが支配している世界だ。
それなのに、道路だけは丁寧すぎるほどに除雪がされていて、舗装道路が見える。

これは私の想像とは違い、どこへ行っても同じで驚くことであった。
地元の人の話では建築会社は除雪作業で大儲けで、高給の作業員はパチンコと酒に溺れる人が多いそうだ。

山道の路肩では雪が美しい模様を描いている。

 

白い世界の写真撮影は難しい。先ず自動焦点のピントが合わない。
撮影した写真はぼんやりとした白一色で、目で見たものと大きく違う。

時折、雪が降って来たりして、「いいぞー」と思いながら歩く。
除雪車が唸りを上げて道路の雪を谷に向って投げ飛ばしている。
初めての豪雪地帯を堪能したが、これがこの先、大変なことになるのである。

木々は雪の重みに耐えている。

 

(おまけの話)
民宿の女将さんに言われた。「結東でバスを降りて、少し歩いて2つ先のバス停の「もえぎの湯」で温泉に浸かり、折返しのバスで帰れば良い」。良いアイディアなので、それに従った。
その時に温泉までの距離を聞かなかったのが、後で大きな問題となるのである。

こんな山奥でも除雪をしている。

 

結東のバス停から歩き出したが、温泉の表示がなかなか出て来ない。
道を歩くバカな人は地元にはいない。それにしても、たまにある店も閉っていて聞けない。
時たま出会うのは大型の除雪車だが、危なくて近付くことも出来ない。

山道を延々と歩いて、2時間が過ぎた。
バス停は雪に埋もれて、どこにあるか全く分からない。

雪に埋まった道路を除雪車が行く。

 

まだ多少は元気だったので良い場所で写真を撮っていたら、その間に帰りのバスが行ってしまった。
次のバスは時刻表では最終便で、4時間後である。

もうヘトヘトになり、先に進むのを諦めた。
しかし、戻るにはまた同じ道を2時間歩かなければならない。持参した蜜柑を食べながら考えた。
そしてヒッチハイクをしようと思い付いたが、車も殆ど通らない。

橋から見えた川面は雪に覆われていた。

 

諦めて歩き出して10分ほどしたら、運良く車が後ろから来る音がした。
慌てて車に手を挙げたら、「地獄に仏」とはこのことで、停車してくれた。
「どうしたんですか?」と聞かれたので、「バスが行ってしまい、4時間待ちなので温泉まで乗せて欲しい」と頼んだ。

除雪には色々な建機が出動する。

 

この人は横浜の人で、引退した後は気ままに全国をドライブしていて、「今は雪道を走りたくてここへ来た」と言っていた。運良くその人に乗せてもらえたが、もしこの人の趣味が「雪道を走る」でなかったら、今頃、私はどうなっていたんだろう?

「もえぎの湯」のツララが美しい。・・・と思い撮影していたら・・・・。

 

後で分かったのだが、「もえぎの湯」のバス停は結東バス停からたった600メートルくらいの距離だった。 私は雪の山道を8キロ近くも歩いてしまったのである。
その時に浸かった「もえぎの湯」の幸せ感は、言葉に表せない。

そのツララが屋根の雪と一緒に落下して来た。 もう少し近くにいたら、危なかった。

 

 

 

 

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