和服の達人「ヤスさん」P1/伊達市室蘭市を含む西胆振のポータルサイトむしゃなび


◆ 和服の達人「ヤスさん」P1 ◆
掲載日:2011.05.09 [1400]


 
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<達人発見。リサイクルショップビッグバン伊達店きもの担当 荻野正之さん>  

去年4月にオープンしたビッグバン(BB)伊達店。 
リサイクル品を販売、買取りをしています。 
 
なんといってもこの店の中にある「着物コーナー」が気になります。 
ずらりと並んだ和服は、2万円〜100円まで! 
 
この着物コーナーには、他のリサイクル店の着物売り場にはない、なんとはなしの力強い雰囲気を感じます。 
その底力の原因は、たぶんこの人、ヤスさん、こと、荻野正之さん。 
ヤスさんは「きもの担当」としてこの一角を担当し、また、伊達店ばかりではなく各地に出向いて販売員に着物についてのレクチャーをしてまわっているという和服の達人です。 
 
「自分の店で売っているのに店員が着物のことを何も知らないでいてはお客さんに説明もできませんし、商品に愛着も沸きません。わたしはずっと着物にたずさわってきたので着物のことを知っています。京都にはそういう人はいっぱいいて、わたしなどまだ知らないほうなんですけどね。縁もあり、少しでも役に立てたら、と思ってここで働いているんです」
 

 
<「ヤスさん」は、さんづけ?>

ビッグバンに行ったら店員さんの名札を見てみてください。 
そこに大きく書いてあるのは「呼び名」。

職員同士は役職にかかわらず呼び名で呼ぶこと、その呼び名に「さん」はつけないこと、という楽しい社訓(?)があるそうです。 
この呼び名は採用面接のときに話した内容をヒントに決められるそうで、皆それぞれに逸話があります。 
例えば店長さんは「サクセス」と呼ばれていて、以前の職業に関係があるそう。 
 
が、その中で「ヤスさん」と例外的にさんづけされて呼ばれているのがヤスさん。 
「おいでやす」という京都の挨拶からつけられたこのニックネームは「さん」まで含めて荻野さんのニックネーム。さんづけで呼びたくなる佇まいはやはり達人です。 
そのやわらかい人あたりに「ああ京都の人なんだなあ」と、しみじみ京都の人の良さを感じます。 
 
<辻が花染〜着物が作られるには各地のつながりが不可欠>

ヤスさんは京都生まれの京都育ちで、もうすぐ70歳。 
生家は呉服生地の染め物屋(型染友禅)をなりわい、幼いころから、住み込みの職人のそばで育ち、あらゆる種類の織り、染めにふれてきました。 
 
やがて店を継ぐことになるのですが、 
27歳ころ、数ある染めの中の「辻が花染(つじがはなぞめ)」に出会いました。
 
辻が花染は、室町時代〜桃山時代末にかけて行われたと言われる染めで、絞り染(鹿の子絞)を基調としてさらに筆で絵を描いたり刺繍をほどこすなど様々な技法を使って一枚に染められるもの。 
桃山時代以降、こつ然と消えてしまった幻の染です。 
 
そのやわらかい「はんなり」した美しさに心ひかれたヤスさんは、辻が花染の作品を作りはじめます。 
「有名な久保田一竹さんとはかなり違う風合いの作品ですが」
 
(こんなページを見つけました。>>桃山以降初めて「辻が花」の名を世に広めた久保田一竹の着物。販売している。なんと高価な。) 
 
さて、着物を作る、と一口にいっても、 
「着物というものは一人で作れるものではないんですよ」とヤスさんはいいます。 
 
織りや染め、それぞれの技法はその地その地に伝統的に伝わっているもの。 
その技法の違いは、土地(地方)の違いに等しいというから驚きです。 
一着のきものは、色々な地方の職人の技がひとつに集まってやっと出来上がるもの! 
 
例えば、 
「大島」と呼ばれる大島紬(おおしまつむぎ)は沖縄で作られ、 
「絽(ろ)」(原料・織り)と呼ばれる夏の着物は新潟の五泉市で作られ、 
「友禅」(染め)は江戸時代の浮世絵(扇絵)師の宮崎友禅斉(みやざきゆうぜんさい)が生んだと言われ、関東や、「京友禅」として京都などで継がれています。 
 
そして、 
友禅に使われる白い織物は丹後で作られ、 
型友禅師(パターンを作る)は三重県の白子に技術があり、 
「半導体の技術は、友禅のパターンを作る技術があったからできたのかもしれないと思っているんですよ」とヤスさん。 
 
そしてまた、京都の室町などは、それら各地の着物を扱うそれぞれ特徴のある問屋が軒を並べ、流通の中心になっていました。(今はビルが建って変わっているそうです) 
 
ヤスさんが一着の着物に触れるとき、その目には、その一着に関わったたくさんの地方とたくさんの職人や仕事が見えているのでしょう。 
 
どんな織物を使い、どんな染めの方法で、どんな模様を表現するか、着物として仕立てられたとき、どのような絵柄がどの位置に配置されるように反物をつくるか、 
その設計とプロデュースといえる仕事がヤスさんの仕事でした。 
 
その中での、辻が花染の創作。作品展を開き、飛ぶように売れていったといいます。 
 
「染め物は、出来上がってみるまでどんなものが出来るかわからないのが面白いです。自分(人間)の力だけではないですから」
 

 
<「着物」が通って来た過酷な時代>

「今、きちんとしたものを作る職人はいないと言っていいです。人間国宝になっている人はいますけど、高齢で継承者がいないです」 
 
職人の手で丁寧に作られていた着物は 
東京オリンピック開催の頃〜高度成長期、バブルの時代、さらなる需要を求めて大量生産が行なわれるようになりました。 
「元々、着物は日本国内にしか需要がないので、大量に作る必要はないはずなのに」 
 
職人の手で何ヶ月もかけて作られる本当に良いものと、大量生産されるもの、どちらもそれまでと同じ高価な値段で市場に出るようになると、買い手が不信を抱くようになりました。 
着物の価値が急変したのだとヤスさんは言います。 
 
さらにその後、需要過多になった着物が安い価格で出回りはじめたこともあり、良いものがそれに見合った価格では売れなくなり、それまで培っていた技を持つ職人が作ることをやめ、それぞれの職人とのつながりで特徴のある色濃い商売をして着物を流通させていた何件もの問屋も廃業していきました。 
 
「日本は、外国とは違って、自国の伝統工芸師を守ることをしなかったんです」 
 
現在、ベトナムなど、海外での生産がほとんどになっているそうです。 
 
 
<活用してほしい>

ヤスさんは、着物に関して体験してきたそれまでの時代と心情で、 
「自分が、このリサイクルの着物を手にしているのは不思議な気がします」と語ります。 
 
リサイクルとして色々な家庭から持ち寄られる着物は、呉服店で買えばとてもこんな値段では買えないもの。 
「持ち込んだお客さんがこれを買ったときは何十万もしたんだと思いますよ」 
と、お客さんが持って来た着物を整頓したりしながら、作った人や買った人の気持ちを思い淋しくなることがあるといいます。 
「仕立てにしても、一着作るために時間がかかっています。それに仕立ては生地に関係なく一着の仕立て代金が決まっていて、お金がかかっているんですよ」(和裁は全て手縫いです)
 
着物の市場価値が変わり、その先に、リサイクル店にこんなにも集まる着物たちを、ヤスさんは、しかし、こう言います。 
 
「もともと着物というものは「もったいない文化」のはじまりと言えるものです。こういう店を通してまた買う人がいて、着物としても、着物としてでなくても色々利用されていくのはとても良いことだと思います。みなさんに使ってほしいです」 
 
伊達の人がみんな普段、着物を着るようになれば面白いまちになりますよね、 
着やすい着物を考えたり、今ふうのコーディネートをして、みんな着れば楽しいのに。 
と、ヤスさんと編者は笑って話していました。 
そうなるといいなあ、注目のまちになれるのになあ、と思いました。 
 
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(店内散策・ヤスさん&店員さんおすすめの品)>

 

 

ビッグバン伊達店  
北海道伊達市梅本町55ー3/TEL: 0142-21-3196 
営業 10:00〜20:00(買取り10:00〜19:00) 

※記事の内容は取材時の情報に基づいています。  

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