伊達市在住の画家、鈴木文雄氏の常設ギャラリーが「とうや湖 蒼水閣」内に「彩湖の森美術館・鈴木文雄ギャラリー」として本格オープンした。
6月7日、会場で開かれたオープニングセレモニーでは、
バイオリンとピアノ演奏の中、たくさんの招待客が鈴木氏の絵を鑑賞し、また祝いの食事会も行なわれた。
このギャラリーには鈴木氏の長年の画業を語る約70点の作品が常設展示され、主に週末の開館日に誰でも無料で鑑賞することができる。
会場には、地元の者なら親しみのある洞爺湖や噴火湾近辺の漁港の風景画や、国内の様々な風景に加え、海外の光景を描いた作品も並ぶ。
鈴木氏の絵は、詳細な描写と、感覚的な描写が、絶妙なバランスで一枚の絵として表現されている。どこか懐かしいような安心感と、また、その風景を見たときの作者の驚きや新鮮な喜びが、観る者の気持ちの中に心地良いバランスで入り込んでくる。
それは鈴木氏と向かい合ったときに感じるものと似ている。作品にその人柄が映し込まれていると言ったほうがいいのかもしれない。
<ニューヨークにいた頃>
鈴木氏は今年75歳。夕張生まれで、教職にあった時代を経て現在も油絵を描き続ける。
「ニューヨークにいた頃は、自分の絵が古くさく感じて、迷いました」
鈴木氏、40代。アメリカの日本学校の初等部主任としてニューヨークで3年間を過ごした。その間ソーホー地区に足しげく通いさまざまなアートに触れた。そのことが収穫の一つだと語る。
「結局、私は私で良いのだと思うようになりました。どんな絵もそれぞれの思いがあって、それでいい。人目を気にして、人に引きずられなくていいのだと考えるようになりました」
やはり風景を描くのが好きだという自分をはっきり感じたという。
またアメリカでは絵を描くための、こんな苦労もあったそうだ。
「ソーホーなんかは(当時)危ないところで、イーゼルなんか立ててたらあっと言う間に全部持って行かれてなんにもなくなってしまうし、命も危ない」
それでも友達に助手を頼んで現場で描くこともあった。
「車のエンジンをかけたまま近くにいてもらって、何かあったらすぐ逃げられるようにしてもらってね」
ニューヨークは「挑戦の街」だと語る鈴木氏。
「夢を実現する、可能性の大きさを感じました。日本は、出る釘は打たれる。
それは新人を鍛えるといういい意味もあるんですけどね。ニューヨークは理屈抜きで夢を追うことのできる街ですね」
<ヨーロッパで>
ニューヨーク勤務の数年前、鈴木氏はヨーロッパ4カ国を巡る取材旅行をした。
「石畳みの風景が好きでね。なつかしいような気持ちになるんですよ。だから本当はヨーロッパに勤務したかった。ニューヨークだと聞いたときには「なんだニューヨークか」って、がっかりしたものです」
ヨーロッパ旅行では画家のエルグレコや、ピカソのアトリエを見て、何とも言えない感動を覚えた。
絵画、油絵のルーツがヨーロッパだということも、肌で感じた。
「美術教員のボーナスを使い切って奥さんにしかられたけどね」
スペインのトレドを描いた100号の絵「ぼくらは友だち トレドの坂道」は、鈴木氏が海外を題材にして描いた初めての作品。
<人との出会い>
洞爺湖には深い縁を感じるという鈴木氏。このギャラリーをオープンできたのも良い出会いがあったからだと考えている。
「とうや湖 蒼水閣」は社会医療法人慈恵会の職員保養を目的として近年整備された施設で、洞爺湖の全体を眼下に見渡せる絶景ポイントに建っている。
慈恵会の大久保和幸会長と鈴木氏は、15年ほど前、虻田小学校でPTA会長と校長として出会い、今に至る。
セレモニーの冒頭で鈴木氏は「自分のギャラリ−ができたことは、驚きで、不思議です。夢が叶いました。突然、大きな
宝物をもらったようです」と、大久保会長への感謝をのべた。
また「オープンの準備をしていて、自分の絵が並んだのを見たとき、出会いだなあ、と思ってね。このギャラリーができたことも出会いがあったからだし、これからまたここで新しい出会いがあったり、どんな人と再会できるのか楽しみです。ここができたお陰でニューヨーク時代の仲間と再会できたんだよ。ここがなかったら一期一会でしかなかった人とも会えたしね」
と、嬉しそうに語っていた。
とうや湖 蒼水閣
彩湖の森美術館・鈴木文雄ギャラリー
北海道虻田郡虻田町洞爺湖温泉町212-3-2
電話:0142-73-2477
開館:毎週 金・土・日・祝日前日・祝日・年末年始
時間:10:00〜17:00
※記事の内容は取材時の情報に基づいています。(取材2013年)
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