画家、栗橋ノリオさんは室蘭市在住。
昭和23年生まれ。
「団塊のダメおやじ」「非常識で破滅型」
と自らを形容します。
小学生の頃から文部大臣賞の最優秀賞を受けるなど評価され、
やがて二十代、「主体美術協会」の会員(最年少の審査員)だったころは朝日新聞社発行「朝日ジャーナル」の表紙絵として採用されるなど、大いに世間を騒がせました。
しかしあるとき、
「自らの作品を他人の評価に委ねることに強い疑問」を感じ、
それからは独立独歩の創作活動に入っていきました。
「自らが己の作品の一番厳しい鑑賞者」なのだと。
栗橋さんの作品には必ず「独楽(こま)」が描かれています。
回転して立ち、静止しているように見える独楽。
回転していなければバランスを崩し、倒れます。
しかもそれは尖った三角柱の先端の上に立ちます。
この独楽について栗橋さんは、
「現代の社会状況下の多種多様な不安、もしくは、
その空間に生きる人間の刹那的な時間の流れの危うさの象徴」
なのだと語ります。
「原発や核問題、戦争、数えきれないほどの差別の問題があるよね。政治や社会状況は、この独楽よりも危うい状況なんだよ」
現在の日本は、戦後ではなく戦前に回帰しようとしているとしか思えない、と言い、美術関係者はもっと声をあげるべきなのではないか、と。
そんな思いを表明するひとつの方法として、
2014年には個展を開催しました。
<高校生活と俳優業、そしてジャズ喫茶>
高校3年生を3回繰り返した栗橋さん。毎回、卒業間近に退学をしたそうです。
「成績良くてね。なんでかって言うと、3回もやってるから。テストでどんなものが出るかわ分かったし繰り返しているから勉強しなくてももう覚えていてね」。
また、その間に、東宝の放映プロダクション所属のタレント・俳優でもありました。
学校とは別の世界の人たちとの交流が生まれた時期でもあります。
「クラブ歌手として色々なところで歌ったりもしたね。今でも歌はすごくうまいよ!」。
自分のブロマイドもあったそうです!
見たい!と思いましたが自分では1枚も持ってない、とのことで、残念しごく。
「その頃は、後輩に三原順子なんかがいた」。
その後、室蘭に移り住み、室蘭工業大学の近くでジャズ喫茶「ボナール」をはじめました。「スイングジャーナル」に毎月掲載され、たくさんの著名人が訪れました。ジャズライブや公演などが行われたのです。
浅川マキ、山下洋輔、野坂昭如など、そうそうたる顔ぶれです。
そして栗橋さん自身も「室蘭のジュリー」と呼ばれました!
今でもその面立ちから感じることができますが、沢田研二に似た二枚目として有名だったのです。
栗橋さんは、創作を含め、これからさらに積極的に発言していきたいといいます。
「もう命は惜しくない」とつぶやきます。
ブログをはじめ、文章でも、その思いを伝えていくつもり、とのことです。
※記事の内容は取材時の情報に基づいています。(取材2017年)
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