むしゃなび特集/2009年7月15日号/伊達市室蘭市を含む西胆振のポータルサイトむしゃなび

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■ むしゃなび特集 2009年7月15日号 ■
ノスタルジー探険・人情商店ここにあり「道前製靴店」 [1/3]
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終戦をむかえたのは14歳のとき。
樺太から引きあげ、倶知安へ。
そして京極町の靴屋に入った。
それが靴職人への道のはじまりだった。
道前幸男さん、76歳。



ここは北海道で最後の靴職人がいる店。


<靴職人の小さな店>

ペンキのところどころはがれた古ぼけたトタンの外壁。
二階には小さな木の窓枠。
この建物だけが異空間の中に在るようだ。
店は道路沿いで大きなガラス窓があり、中の様子が少し見える。
誰もいない。しかしどうやらやっているようだ。
ここに「伊達のゼペットじいさん」がいるという・・・。

伊達にはもうここしかないだろう噂の製靴店に飛び込むことにした。



 声をかけながらお店の戸を開いた。

 小さな小さな靴屋さんだ。
 小さなテレビの上にジャイアント馬場の足でも「あまり」そうな巨大なサイズの紳士靴がのっかっている。

 すぐに、おじさんがでてきた。
 靴職人、道前幸男さん。
 うん、なるほど「ゼペットじいさん」の雰囲気を持った方だ・・・やはりかなりの靴職人。(ゼペットじいさんとは童話の中のおじいさんで「ピノキオ」を作った靴職人)
 そのうち靴の材料で人形を作り出しそうだ。そしたらそれは魔法にかかって少年に変わるかもしれない。

 この店の、時間が止まったような異空間さ加減と、この道前さんという人の雰囲気が、そう思わせるに違いない。

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  ◆ ヒレ蔵からの手紙 「道前さんといえば昔・・・」 ◆  
 

昭和50年中旬ころ、「靴の修理なら道前さん」というのが大町人の当り前な会話だった。
むかしは、包丁研ぎ・・・失礼! スケート研ぎもやってくれたなぁ。
西小学校は、グランドに水をまいて滑っていたころだ。

研いだスケートはすべりが違う違う!タイムは400メートル滑ったら5秒は違うし、コーナーをするときのエッヂがしっかりつかめた記憶がある。
みんな余りの別人さに「どうして?」と思われても、その秘密は
「道前さんに研いでもらった」 なんて言えないよ。
みんなその頃、さび止めクリームを塗るだけの処置だけだから、そりゃ違うわな。
おかげでおいらは、スポーツ少年団に入れた。

ある胆振大会のレースで橋本聖子(小さいころの記憶だけど確かか?)を見たんだな。
苫小牧であった大会だけど、えらく早い女子高校生がおると評判だった。
彼女早来町(現在「安平町」)出身だから、胆振じゃエースだわ。駒大苫小牧だから見たよ!すげー早かった。

おそらく、この大会ではおいらヒレ蔵の年近くに「堀井学(室蘭出身)」もいるからその大会は彼も出ておると思う。

ウィンタースポーツは、スケートが主流だったんだな。
あのころは市営リンク(現在「伊達中学校」)もあったから楽しかった。
稀府町や関内町は田んぼがリンクだった。すばらしい環境だったんだわ。

てな具合で、
道前さんは手は確かな靴修理屋さん「伊達のゼベットじいさん」なのだ。

ヒレ蔵より

 
     




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