■ 「 KAMAKA 蘇生プロジェクト 」 Report 19 ( 総括後編 僥倖 )
余談ですが・・・ 「 総括 」 より、 「 考察 」 の方がとおりが良いのかもしれませんが、どうも 「 考察 」 は大学生時代の 「 卒論 」 を連想させるので好みではありません。(笑)
その昔、卒論を作るにあたって、大方の学生が判で押したように 「 ~についての一考察 」 というタイトルばかり・・・。
一応、某分野の総合研究室所属で、妙なプライドがあった我らアウトサイダー学生数名は 「 考察は止めて " ~について ” と堂々と持論を展開しよう 」 ということにしました。
所詮は、未熟で中途半端、青臭い卒論にすぎませんが、以来 「 考察 」 と言うと、、間抜けでおめでたい学生時代を、いまだに思い出します・・・(苦笑)
もっとも 「 総括 」 という言葉も
昔の、とある事件以来、私はあまり良い印象を持っていませんが・・・・
さて、くだらない思い出話は止めにして・・・
今回、私ごときが修理できた要因は単なる " 僥倖 ” ( ぎょうこう ) にすぎません。
前編で申し上げたとおり、トップ板とバック板が剥がれただけであり、失われたパーツはわずかにバックのブレイスたった 1 本だけ。
そのほかは、カケラひとつ失われることなく保存されていました。
これを僥倖と言わずにはいられません。
コアという木がどんな特性を持つか詳細までは知りません。
ハワイではコアは 「 ご神木 」 と崇められ、伐採の際には祈りを捧げる儀式を行ったという貴重な木材です。
ウクレレのみならず、かつては家具などの身の回りの品や、果てはその丈夫な材質ゆえカヌーの製造にも使われたと言います。
それだけ用途が広いということは美しく丈夫で使いやすい木なんだと思います。
このカマカは、材が剥がれていたし、割れていましたが、その剥がれの面も、割れの断面も実に 「 きれいな断面 」 でした。
つまりは、特段大きな処理や加工をしなくても、そのまま正確に接着さえできれば、ほとんど元に戻せる状態でした。
丈夫なコアが頑張ってくれたのは僥倖だったと思います。
もうひとつ、僥倖があります。
いくら、私の意気込みがあっても、多少の木工知識を持っていても、所詮は初めてウクレレを治すわけですから、技術的にも経験的にも力量不足は否めません。
そこで支援してくれたエキスパートが、このプロジェクトの成否を分ける大きな存在でした。
まず、ひとりは Mr. Takajo 。
北九州ウクレレ協会の代表であり、ウクレレショップを経営し、ウクレレの製造やリペアーも手掛ける最強の支援者です。
作業手順や留意点など私の唐突な質問や疑問に対して的確なアドバイスを、はるか北九州市から送ってくれました。
そして、もうひとりは Mr. Kimoto 。
私の職場の同僚です。
( 私は moto = 元 、 彼は moto = 本 の違いがあります・・・余談でした )
小さなものから、大きなものまでいろいろな木工をこなす、これまた最強の支援者です。
私たちの職場にある工作室にて。
向かって右側で切り出したブレイスを持っているのが Mr. Kimoto 。
左はカマカを持っている私。
風貌が似たような感じですが 「 W Kimoto 」 という漫才コンビではありません・・・・
色々な工作機械を駆使して、私の要望どおりにブレイスや補強板の原型を作ってくれました。
このお二方が身近にいてくれたのも、やはり僥倖でしょう。
そうそう・・・もうひとり・・・
戦力としては充分でも、活躍の場が少なかった女房も貴重な存在でした。
少なくとも、数ある " ネコの手 ” よりは余程助けになりました。
但し・・・これは僥倖ではありません・・・笑
色々な 「 助け 」 があって、今回の対応ができたと思います。
皆さまに深謝・・・
それと・・・・
性能の良い接着剤、使いやすいクランプ、細部まで接着剤を注入できるシリンジ、前加工された材や板、細工用ノコギリ、小型カンナ、多種のサンドペーパー、金属磨き用クロス、ネイルファイル、オレンジオイル、大量のウエス、工作筆などなど。
便利なものが、近くのホームセンターやネットで容易に手に入ったということも大きな助けになりました。
こうした便利な時代だったというのも、果たして僥倖なんでしょうか・・・
これは私にはわかりません・・・
最後に・・・
このカマカが、よくぞ私のところに来てくれたと思います。
このような経験は、そうは容易にできるものではありません。
これこそが今回の最大の僥倖・・・・
いや・・・・
こればかりは " 必然 ” だったのかもしれません・・・