■3.11に思う・・・
2011.3.11
あの日から1年!
TVでは、もっぱら特集番組を流している。
私の実家は福島市、原発から60キロ圏内。
避難指定でも計画的避難地域でもない!
でも線量が高いと言われている渡利地区!
人々は目に見えない放射能におびえていると思います。
でも、目に見えないので普通にも暮らせています。
原発事故が起こった後に数人の人から
「北海道に御両親連れて来たほうがいいにじゃない?」
と、言われました。
でも、簡単に出来る事ではないという事も事実です。
JRも飛行機もガソリンもままならないという状況!
まして高齢(81歳と77歳)の両親です。
父は脳梗塞の影響でいろいろな機能が低下していました。
母は元気でしたが「私達はどこへも行かない」と言っていました。
父は震災とは関係ありませんが、去年の11月にあちらの世界に避難していきました・・・
入院するまでも、入院してからも、御近所のお友達、兄弟、親戚、たくさんの人に応援していただけました。
これが、友人も兄弟親戚も誰もいない私達のところへきていたのなら、どうだったでしょう?
寂しい最期を送ったのではないでしょうか?
娘としては‘ごめんなさい‘と‘ありがとう‘の言葉しかないのですが・・・
おかげさまで、地元のたくさんの人々に送られて、旅立っていきました。
そこに暮す人にも、歴史があり、コミュニティーがあります。みんな同じではないのです。
小さなお子さん、これからの日本を背負って生きていってもらう若者、この人達はやはり、国が腹を決めて、疎開なり避難なりさせるべきであったとは思います。
学校単位などで安全なところをあらかじめ確保しておくのも、よかったのではないでしょうか・・・?
子供、若者、壮年、老人、カテゴリー別に考える事も必要なのではないかとも思いました。
それにしても、今日は1日泣きっぱなしでした。
お鼻が赤鼻のトナカイさん状態になってしまいました。^_^;
来年の3・11はもっとHAPPYなお話がたくさんあるといいのですが・・・
なにもできませんが、自分の出来る事で元気にがんばっていきたいと思います!!
このブログに御意見のある方は、ぜひお店に来てお話してください、待っていますよ~!!m(__)m