■先生
私の中学生の時の先生
今でも思い出します・・。
中学校の2.3年の時の担任
「近藤晴寿先生」
この先生は私が通っていた中学校・釜石西中学校、先生でした。
別に頭がよさそうでもなく、モテ顔のいい顔ではない・・。
体育教師で日体大出の今で言う、筋肉バカのような先生でした。
しかし、俺らの心にずっと残っている先生である・・。
今まここで俺は「俺ら」という言葉を使っているが
「俺」だけではないはず・・。と言うことで「俺ら」と言う言葉を使ってみた・・・。
この先生の思い出を話すと限りなくある、一言では語れない
偉大な先生
ある意味、私と言う自分の成長時に欠かせない人であったんだろう・・。
私は、人生において「先生」には恵まれて育った・・・。
だから、今こうして自分という存在がある
その中でもトップランクの先生であり
多分、後にも先にもこんな先生はいないだろう・・・。
話すと長くなるので数々の伝説を話したい・・・。
別にこれを見て、感動が伝わらない人もいるかもしれない
でも、フェースブックを見ているときに、たまたま学校の先生であろう方が自分を語っていたのだ・・。その文章を見て
思い出してしまった・・。
あれは中学校3年生の夏だったと思う・・。私の中学校は1.2.3年ひとクラスずつの小さな学校で
確か3年生で40名ちょっとのクラスではなかっただろうか?
このクラスは、男子も女子もある意味、仲の良いクラスだったと思う、
ひどくやんちゃな生徒もなく、地域がらで一人一人を街中の人が知るような地域だったので
先生だけでなく、地域の人たちにも私たちは育てられた環境だったのかもしれない。
そうそう!!夏のころ、我が西中の野球部が勝ちあがってベスト8位になったときに
学校の行事で野球応援の日で全校生徒で行った時がある。
それはそれは凄い応援である、全校生徒は少ないが、声の出し方は半端でない
それこそ必ず学校には応援団があったので、応援団を先頭に応援合戦が繰り広げられたことは言うまでもない
その中でも、あとあと語り継がれているが、西中学校の応援は3倍も多い規模の中学校よりも
応援は凄いという噂が流れていたし、団結力も凄いという評判もあった中学校だったのである
その中でも野球応援は別格だった・・・。
なぜなら他にの部活では全校生徒で行くような部活がなかったからである【笑】
勝ち上がっていく野球部・・・。1度だけ許された野球応援だったが、自分たちの仲間ががんばっているのに
応援に行けない悔しさのなかで登校していた・・。
そんな時に誰かが発した言葉にみんなが共感した・・。
「なぁ!!俺たちが行ってやらないで、野球部かわいそうだよ!」
「応援にいくべ!!」
「でも授業があるしどうやっていぐんだ!!」
「先生にいって、早引きするべ!!」
そんな会話があちこちで話されていた・・・・。
野球応援という一つのテーマ・・・。私の子どたちに話してもそこまでの仲間意識で
あんな行動までは発展はしなかったであろう・・・。
しかしそれをやってのけたのが近藤先生だったのです・・・。
数名の生徒が職員室にいきました・・。
「先生お願があります。わたしたちの仲間ががんばっているから、野球応援に行かせてください!!」
先生もいきなり出てきた、野球応援に話に面食らったのか?びっくりした様子・・。
その後、ホームルームが始まり、3年生全員で先生にお願いしたのです。
その時はなした内容はさすがに忘れたけど、
「自分たちがいかないで負けてしまう、少ない人たちでいいから、応援に行かせてください!」と懇願したことを覚えている・・。
先生いつも言っているでしょ!「団結」だって・・。
俺たちが行ってやらないとだめだよ・・。
という内容だったと思う、
今にして思えば、幼稚な話ですが、それだけ仲間意識の結束がある学校でした・・。
先生も生徒を落ち着かせることで精一杯だったと思う・・。
義務教育を放棄して野球応援なんて100%無理な話
でも生徒のときにはそんなことなんてどうでもいい話
野球部の仲間が俺たちをきっと待っているんだ!ということしか頭になかったと思う・・・。
あとあと考えれば、先生かなり考えたんだろうね~・・・。たしか、その後に教頭先生もきて俺たちをなだめるために説得したような記憶もある・・。
まぁ!!学校側にしては「ダメなものはダメ!」という姿勢だったのは今でも覚えている・・。
しかし時は刻々と流れていた・・。授業をやっても、考えることは野球応援のことばかり
そんななか、学校への不信感も出てきていた・・。子供にしてみては
「そんなことも要求が通らないのか?」位の意識があったと思う。
そして、体育の時間、授業は担任の近藤先生
「なぁ!お前達・・。そんなに応援行きたいか?」
先生の生徒を見る目は真剣です。縦に振った首に先生の気持ちも固まったんでしょうね・・。
「よし!!今から行くぞ!!」
歓喜と共に俺たちは喜んだ・・。今でも覚えている・・。
あの喜びは自分たちの願いが一つになった瞬間です。
今にして思えば歩いていける場所ではない・・。ましてやお金なんて持っていない
多分、先生が立て替えてバスに乗せてくれんたんでしょうが、その後の経過は忘れました・・。
私たちが野球応援にいってその内容の記憶はない【笑】
しかし、先生が一人の人間として、向き合ってくれたことに
今でも記憶に残っている
実は先生の記憶に残る感動をよんだ話はまだまだある・・。
そのうち公開したい・・・。
野球応援が終わり・・・。
近藤先生が副担任の先生にいった言葉が今でも覚えている・・・。
「さぁ!!校長に怒られにいくか?」と白い歯を見せ苦笑いする先生の顔を今でも覚えている・・・・。