■とうとう出てきて解けて溶けてしまった 内側の永久凍土
10年ひと昔といいますが てんねんやが正式に今年13周年
そして歌のほうの地球家族が10周年
なんとひと昔たっておりました
今日は歌が中心のお話です
ひと昔たつその間
ライブを企画したり
イベントで歌わせていただいたりしてきましたが
どうにも全力で手掛けることができなくて
密かにもんもんとしておりました
その原因はうすうすわかっていたのですが
見たくなくて
向き合いたくなくて
ずっと逃げておりました
自覚はあったのですが怖くて
それに向き合うには
今生の自分の生きざまを全て
見直し再確認しないとならないことが
解っていたので
そして時間と労力もかかること
中途半端に蓋を開けてしまって
野放しにしてしまうと
トラウマに飲み込まれて
精神を損ねることも懸念されることから
今はできない
時間がない
そこまでの労力が取れない
無理
と、ずっと避けておりました
その間にも唄は降り続け
めちゃくちゃいい曲のご当地ド演歌ができたり
imagineレベルのメッセージ
we are the worldレベルの壮大さに
なんでこんな曲が私のところにと
ビビり恐れおののき
ちょっと世に出して反応を見ては
好評価をいただくとなおさらビビり
カタツムリのように引っ込んで
活動ができなくなることの繰り返しでした
その原因のすべては
幼少期の理不尽な体験や
思春期のトラウマによる
自己肯定感の低さと
成人してからのトラブルで
自分は絶対に幸せになってはいけないと
己に鍵をかけて鎖でがんじがらめにして
それを無意識層の底に押し込んで
表面を繕って生きてきたのと
それらによって正しいものの見方ができず
かなりゆがんだフィルターを通してすべてを見ており
それが特に自分に対して強烈に作用した
間違った自己評価からくるものでした
なんたって褒められたくない
認められるのが怖い
本当は人前に出るなんてガクブルで
小さく小さく誰にも気づかれないように
密かに生きていきかったのに
小さく田舎暮らしのはずが
訳あってぱん屋を始める流れになって
ご縁でイベントなどにお呼びいただいて
おかげさまでなんとか暮らしてこられたのですが
さらに唄ができるようになって
どうするのこれ、としばらく持て余して
でも世に出す流れをいただいて
やっぱり人前に出ることになって
やってみたらできなくはないけど
めちゃくちゃ精神力を消耗する
評価をいただくと嬉しい反面
わけのわからない罪悪感と自己卑下が
うぬぼれるんじゃない
誰がお前なんか
社交辞令だろう
本気にするなんて
お前なんかができるわかない
何を誇大妄想しているんだ
そんな声が
内側から湧くのです
で、やっぱり自分はダメなんだと
出来ない怖い私なんかがそんなこと
無理無理無理と布団をかぶって
一番避けたいことをしようとしてたから
今から考えると当然拒否反応が出ますよね
精神崩壊するかと思う時もありました
やらなきゃ、と思う自分と
それをあざ笑う自分がいつも一緒にいるのです
あー思い出しても恐ろしい
寛大な家族や友人
仲間がいなかったらどうなっていたことか
でもね
落ち着いて考えてみたら
ぱんもうたも他のもろもろも
こうやって文章を書くことも
なんでか自然に湧いてくる
無理して作ったものや
ないものを無理やりやろうとしたり
人様のものを奪ってきたものではない
全て自然と与えていただいたものばかり
それは賜物と言えるのではなかろうか
私は自分を見ないようにしてきたので
自分のことと思うとフィルターが自動作用して
客観的にものが見られなくなっていたのですが
例えばこれがほかの人がやっていたら
てんねんやも
地球家族も
ブログも
イヤーなにこの人変な人面白いと
思ったかもしれない
長年の自己卑下、
最近は自己髭とあえて変換していますが笑笑
それが少しづつ脱毛されていくのを
数年前から体験してきました
ある時大きな気づきがあり
こんな私でも
赦されている愛されていると体感し
自己髭なんてしていたら申し訳ないんだと
電車の中で思わす泣きそうになった時
電車の中のTV広告がぱっと目に入りました
ジレットの髭剃りのCMでした
出そうになった涙も引っ込むくらい
腹筋を使って笑いをこらえるのにどれだけ苦労したか
人の多い電車の中でひとり
奥歯が痛くなるほど笑いをかみしめて
天地に感謝したものです
田舎に暮らして
人は見えるものだけで生きているのではないと
日の光や水、風の動きを感じながら
ありとあらゆることは
大いなる自然の流れの中の一部で
私の失敗も過ちも同じように
善悪を超えた一部でしかない
見方を変えたら白も黒も紙一重
その中で何を経験したか
何を学んで
どう生かして生きていくか
何を選んで何を選ばなかったか
やって失敗した
やらないで経験値を逃した
動いて波風を立てた
じっとして静穏を保った
何が正しいかなんて
その時はわからないことも多い
人生半分近く生きて分かったことは
不自然は無理があるということ
意味のないことは何もないということが
真実だということ
だから自然のままに
起こることすべてをありがたくいただいて
感じ消化し体験し正し改め
毎日小さな世界を作っていくのだということ
ああ
とうとう解けちゃった
そして溶けちゃった
永久凍土のようにかたくなだった私が
長年の癖があるから
思考の習慣は出てくるけど
もうそれにずっと巻き込まれはしない
あらあらまだいたのね
ずっと傷ついたところを
私の目から隠してくれて
私の心を守ってくれていてありがとう
もう向き合えたから大丈夫
そうしたら
フィルターが取れて
素直な自分が見えてきた
あちこち記憶もあいまいで
ところどころ途切れていた自分史が
埋もれていただけでちゃんとあることが分かり
小さい頃からずっと繋がっている自分が
全てのことがあって今の私がいることが
腑に落ちて戻ってきたので
48年かけてやっと
地に足がついたような感じです
いまのさとり世代からすると
何のまわり道よとなるかもしれないけれど
私にとっては必要不可欠だった道
絡まりが解けて一つになったので
さあ前に進みましょう
先日録音した音源のリンクを最後にのせます
完璧を目指しますが
完璧に至るまでの道のりを楽しんで分かち合う
それもいいなと思うので
音のブレやミスはご愛敬で
地球家族の世界観を楽しんでいただけたら幸いです
聞こえてきていた声に近くなってきた
まさか自分の声だとは思わなかった
でもどうやらそのようです
禅問答のようですが
今日はこの辺で
次の仕事にかかります
皆様今日も良き日をお過ごしくださいませ
はみ出しちゃったですが
直し方がわからないのでご愛敬
easy come, easy goでございます
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