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[2013.06.27]
■自然と不自然
小学校5年生の息子は毎日お弁当を持っていきます。 
昨日の給食に合わせて、シュウマイをつくりました。 
 
息子が小3年の時に、高度機能障害の可能性があるので専門機関に相談に行ってくださいと、先生から通知をいただいたことがあり、それがきっかけでお弁当を持っていくことになり、3年目。 
 
確かに忘れものは多く、いうことも聞かず、注意も散漫で、持ち物や提出物など私も子供まかせだったのもあり、先生に多大なご迷惑をおかけしていたころのこと。 
 
自分で学校に行きたいのだから、自分で準備する 
というのがお姉ちゃんの頃からの通例だったので、 
4歳下の息子も同じようににしていたら、 
男の子はこうも違うのかということを教えていただくような連続で、 
おかしいなこの子は赤ちゃんの頃からとても落ち着いていて、一時期とても泣き虫でしたが基本的におっとりタイプで、こんなに落ち着かないのはなぜだろうと 
思っていたときだったのですが、さすがに通知にはびっくりしました。 
 
何か原因があるのではとよくよく考え、思い当った一つが給食でした。 
 
息子がお腹にいるころから、自分の無肥料の自然畑のもの、仲間の無農薬有機栽培の自然のものを中心にした玄米食で、白砂糖を使わず、お肉やお魚も昔の日本人並みに盆暮れ正月や誕生日、お客様といった特別食、ハレの日のご馳走で、卵はうちの庭を走り回る鶏のもの、調味料も本物に変え、味噌も作り、梅干しも作り、たくあんも毎日のお菓子も手作りで・・・ 
という暮らしが基本で育った息子は、時に市販のお菓子などを食べたり、外食をすると、てきめんに白砂糖や化学調味料の影響が出るのです。もう人体実験のようで記録しておけばよかったと今さら思います。 
 
走りまわって止まらない、北海道で言うおだってしまった状態で、人の言うことも聞き入れなく、突っ走ったあげく挙動不審にもなり、最後は電池切れ、みたいな状態をお祭りのときやお出かけの時などに繰り返していたのを、思い出しました。 
 
お弁当にしてもらおうかと迷った挙句、給食も食べてみたいと言う息子の意見で、入学してから3年、給食を戴いてきましたが、もしや??? 
 
実は一度お弁当に替えていただけないかと当時の校長先生を交えての話し合いにまでこぎつけた事がありました。 
息子の状態をお話し、うちの家庭環境と、息子の生育環境もお話したうえで、お弁当のお願いをした所、 
その時はアレルギー以外でのお弁当は教育の方針に反するということで却下でした。 
 
化学物質や、電磁波、といった微細なものに対するアレルギーの診断はまだ困難を極め、専門機関による受診、沢山の検査、と、時間とお金と労力がかかります。ひとり親の田舎暮らしの家ではとても… 
母のカン、おかしいという感覚だけでは通じなかったのです。生まれてからずっとこの子を見ている母のカンより、医師の診断書、のほうが今は信頼されるのだとわかった出来事でした。 
 
それからもやはり息子の挙動不審、忘れ物は良くなったりぶり返したりを繰り返し、あまりに頻繁になった挙句の通知でしたので、今度はある程度の確信を持って先生と食生活のお話しもしました。 
 
大滝の給食の名誉のために宣言しますが、 
ここまで手作りで、地元の野菜もつかい、メニューの豊富さも世界旅行な給食は貴重です。すごいです。 
今の一般的な給食から考えると、ものすごく家庭的、良心的です。転勤してきた学校の先生方が、おほめになる大滝の名物の一つでもあります。 
 
自然に育った息子が今普通に使われている食品に敏感なだけで、それも自然なことで、ただ他とちょっと違うだけで別に悪いわけではないし、給食が悪いわけでもない、ということを明記しておきますね。 
 
そして学校との協議の結果、息子が落ち着く一つになる可能性があるのであれば、やってみる価値があるのではというその年に赴任された校長先生のご判断で、お弁当が始まったのです。どんなにありがたかったことか! 
 
ああ、長くなってすみません。 
はしょると誤解を招いたら申し訳ないので、ある程度流れを追いました。 
 
あ、息子の名誉のためにも明記しますが、 
今は全くあの頃のようなことはありません。 
ちなみに専門機関にも行かずじまいでした。 
先生方のためにも明記しますが、これは普通わからないです。うちがよくよく観察していたからたまたまわかるだけで、ごはんやお菓子を食べたら元気になるのは当たり前、が普通。うちの場合はこうでしたが、こういった症例は原因が複雑で、とてもデリケートでもあり、一概には言えないことも明記しておきます。それにしても食の力は大きいです。ほんと、人体実験のようです. 
 
 
そして冒頭のシュウマイに話は戻ります。 
これがそれです。 
 
クッキングペーパーなども貴重品でもったいなく感じてしまうてんねんやは、環境的にも自然の中にいるので普段はよく笹の葉などを蒸しものの時に普通に使います。 
おまんじゅうや、お団子に、笹団子や粽もそうですよね。昔からの防腐、風味づけの知恵です。 
お寿司のバランも、もともとは笹の葉。 
今はプラスチックに変わっていますが、伝統的な笹すしや、飯寿司なども、笹の葉を敷くものもいまだに普通に在ります。 
 
なので、いつも通りお弁当にそのまま入れました。 
そうしたら、息子が、 
「今日弁当に笹の葉が入っていて、みんなびっくりした」というのです。 
 
中には口を押さえてえ~信じらんないというそぶりの女の子もいたそうで、さりげない風を装いながらも口が少しとんがっている息子は内心傷ついた様子。 
 
今朝のお弁当を詰めている時、 
笹、入れないほうがいい?と聞いてみたら、 
すかさず、入れないでください。俺が恥ずかしいんで。と言われました。 
 
きれいに作られた、プラスチックの色とりどりのお弁当のしきり。透明で、清潔に保たれたサランラップ。 
そういったものが生まれた時からある環境の今の子供たちにとっては、お店で売っていてきれいに包まれて、買うものは安全で、その辺に生えている草は汚い、という感覚になるのもよくわかります。 
私同じく、その中で大きくなったのです。 
今の時代の、それが一般的で、自然。 
 
私は息子に言いました。 
 
新潟の笹団子や、子供の日の粽は、今でも笹に包まれているよね。北海道の飯寿司も、笹の葉やいたどり、フキの葉を上に敷くんだよ。 
今の子供たちは知らない子が多いだろうけど、笹の葉を使うのは、長い歴史の中で人が気付いた自然の防腐剤で、自然の知恵なんだよ。 
でも、お弁当には入れないでおくね。 
 
息子と娘は黙って聞いていました。 
 
私は息子に覚えていてほしい。 
ラップがなくなったときでも、すぐそこに生えている笹の事を。 
人が栽培しなくても、自然に生えてくる、食べてもよいと恵んでくれる山菜と呼ばれる野の草、木の実、薬になる草などの事を。 
 
中国の伝説時代といわれる太古の皇帝の一人、神農は、あまたの野草を自分で摂取し、自分の体を使ってその効能や毒性を調べ、後世に偉大な食の記録を残してくれた人です。今もその本は残っています。 
 
人が今に至る歴史の中で、もともとはすべて自然から戴いているという事実は今も昔も変わりません。 
ただ、自分でとってきて調理加工するか、工場や他の方がするかで「見えるか見えないかの違いだけ」です。 
 
おなべや釜を作るもとも、自然から。 
昔はたたらで鉄を溶かして、叩いて人が作ってた。 
もののけ姫でもありましたね。 
 
洋服を作るもとも、自然から。 
昔は綿や麻を栽培して、糸を紡いで、はたを織り、着物を作ってた。今も同じようにしているけど機械化され、加工の段階が多くて直接人からはあまり見えないだけ。 
 
車やテレビやパソコンやゲームの機械を作るもとも、自然から。 
あまりに沢山の部品があり、わからないけど元をたどればみんなやっぱり自然から。 
 
便利で綺麗なプラスチック製品のもとになる 
石油も、自然から。 
ドロドロとしたあの原油が、あたたかいフリースになったりかわいい髪飾りになるのってまるで魔法みたい。 
 
美味しいお菓子や、カップラーメンのもとも、自然から。 
小麦も畑で育てるし、チョコレートのもとのカカオは木の実だし、お砂糖はサトウキビや砂糖大根ってビートとも呼ばれる畑で育てる野菜から作るのよ。 
大滝は冬になると、国道をビートを満載したトラックが通ります。伊達に製糖工場があるからです。 
カーブの遠心力に耐えられず、よく道路わきにごろっとビートが落ちています。 
あれが、みんなが大好きな甘~いお砂糖のもと。 
 
風邪をひいたりお腹を壊したときに、 
お世話になる薬のもとも、自然から。 
最近自然ブームで流行りの漢方薬の風邪薬、葛根湯の成分は、昭和新山周りに良く生えている、木に絡みついてのびる葛の根っこ。葛湯になるあれです。 
チンピ、といわれる漢方は、みかんの皮。 
ね、みんな自然のものでしょ。 
 
ずっとこうやって育ってきた子供たちも、 
小さい頃は疑問に思わなかった暮らしも 
学校に入って一般との違いを経験するごとに 
うちは普通じゃないと思うようになり、 
反発、反抗することも多くなる年ごろ。 
てんねんや、かくありき。 
 
うちが普通じゃなかったらじゃあ何が普通? 
 
うちは自然で他は自然じゃない? 
 
そんなことない。 
みんな自然でみんな普通。 
普通って幅広いし、一言ではいいきれない。 
自然だって、どんなに自然とかけ離れているように見えても、大もとをたどれば全部やっぱり自然。 
 
どんなに形が変わっていても。 
どんなに人の手が加えられていても。 
 
田舎暮らしを始めたころは、 
見た目にとらわれていて自然と不自然があると思っていた私。 
 
自然に囲まれた12年の暮らしの中で、一番の収穫は 
不自然なんてないと体験をもって教えて戴いたこと。 
 
不必要なことなんて何もないこと。 
無駄なことなんて何一つないこと。 
 
全部必要。 
全部大切。 
みんな必要。 
みんな大切。 
 
今までのなにもかも。 
これからのなにもかも。 
 
やっぱり感謝に行き着いてしまう、 
これも自然なこと。 
 
朝から長く長く想いが出てきたので書いてしまった、 
これも自然なこと。 
 
さ、これから楽市の仕込み。 
美味しいお菓子、つくろう。 
みんなが食べて、しあわせな気持ちになったら 
私もしあわせ。 
 
色々あるけど、 
やっぱりてんねんやでよかったなと感じる 
今日この頃です。 



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▼コメント(2)
名前:てんねんや  2013.06.28 10:16:04
Y姫さんコメントありがとうございます。  
同じような思いの方とこうして繋げていただける、ありがたいことです。新しい価値観の時代を、みんなで作って行きたいですね。  
心から始まり、心ひとつでできて、世界すべてに影響がある、人の想像力というその事実と責任を忘れないようにしたいなと思います。 
名前:Y姫  2013.06.27 21:05:44
私が時々、もやもやと感じる事をすっきりと綴って下さっていたので、思わずコメントさせて頂きました。  
 
自然食は良くて工場製品はダメ、田舎は健康的で都会は不健康など、様々な物やライフスタイル、時には個人の思考にまで良い・悪い、又は善・悪とジャッジしている会話を耳にする度に、違和感がありました。  
 
良い悪いは誰の基準?たどっていけば、悪と仕分けした物も自分に繋がっているんじゃないの?   
自分が良い悪いと二極化する事が、益々不調和を起こしているような気がしてました。  
 
こんなもやもやを上手く表現できないでいましたが、何気なく覗いたてんねんやさんのブログで、気持ちががふっと晴れました。  
 
ありがとうございます。 

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