■鏡
その表面にあらゆるものを映し出す鏡は洋の東西に拘らず、昔から最も神秘的で、不思議な物として考えられていたようです…。鏡の中は別世界であり、しかも私たちの現実世界と対称的な世界を映し出す訳で、これだけでも、鏡が古代人にとっては、かなり不思議な物で、妙な魅力があった事は十分察しがついてしまいますよね…?古代人だけでなく、鏡は未だに私たちの想像力を刺激するものらしく、白雪姫の魔法の鏡や不思議の国のアリスの鏡の国やコクトーの映画等、鏡が重要な役割を果たしていますしね…。
鏡や水晶を用いた占いを、西洋では”クリスタルロマンシー”と言うのだけど、その歴史はかなり古く、ペルシャが起源だとされているのだが、ハッキリした事は解っていない…。
パニサウアスの「ギリシャ記」によると、古代ギリシャでは、大地母神ケレスの神殿で、糸で吊るした鏡を泉スレスレに垂らしておき、ケレスに祈りを捧げてからこの鏡を引き上げると、その鏡の中に祈った人の未来の姿が映った!と書かれている。皆さん色んな手を使って未来を知りたがったんでしょうね…。
鏡の中に未来を読み取る!というクリスタルロマンシーは、その後もヨーロッパで大いに栄え、それを得意にしていた者まで居た。英国エリザベス朝時代の占星博士ジョン・ディーやカリオストロ等は有名で、彼らもそれに熱中していたらしい…。
わが国日本でも、鏡はやはり大変興味深い代物だったようで、三種の神器にヤタの鏡があったり、以前「シャーマン」の回の時、書いたように、卑弥呼が多鈕細文鏡なる鏡を使って鬼道という力を使った話があるくらいだから、相当不思議なものと捕らえていたに違いないだろう…。日本の物語や芝居によく出て来るエピソードで、”水鏡”があるが、「南総里見八犬伝」の最初のほうにも、犬の八房に懸想された安房里見家の娘”伏姫”が硯の水を汲もうとして清水に自分の顔を映すと、その顔が犬になっているという奇怪な話や今でも神社やお寺には”姿見の井戸””姿見の池”等が残っていて、はっきり自分の姿が映らないと、健康を害したり、死期が近づいている…とされるものまである。厳密には鏡じゃなくて、水鏡ではあるんだけど、機能的には同じ事ですよね…?
地獄の閻魔庁にあるとされている”業鏡”も魔法の鏡の一種なんだと考えられている。ただし、この鏡は未来を映し出すのではなく、過去を映し出す鏡なんだけどね…。閻魔天(閻魔大王)の前に引き出された亡者や罪人はいくら隠しても嘘をついても、この鏡に生前の悪行や罪悪が全て映し出され、悪人は言い逃れが出来ない状態になるらしいのさ…。それで、有罪の判決が下ると、地獄行き決定!というのが、仏教での概念ですよね。一方、キリスト教での死者の審判は、大天使ミカエルがその手に持つ”天秤”で死者の魂の罪や重みを量るんだけど、天秤ってかなり微妙と違いますかね?私から言わせると、この手続きに比べたら、一瞬のうちに、さながら隠しカメラで撮られた記録のような、生前の所業をことごとく映し出す”業鏡”のほうが、かなり便利で文明的に思えてなりませんね。やっぱり、鏡って、不思議で少し怖いものかも知れませんね…?