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[2007.10.15]
■即身仏 4 仏海上人
 このコラムをずっと見てくれている方は解ると思うけど、即身仏さんのコラムは、どういう訳か、たくさんの方が読んでくれているようで…。今回はいつか必ず書き込もう!と思っていた新潟県村上市観音寺に奉られている”仏海上人”の事を紹介しようと思う。仏海上人が入定されたのは明治36年(1903年)の事で、現在日本に現存している即身仏さまの中で、一番新しいというか、現代に近い時代に即身仏となられた方なんで、鮮明な写真も観音寺には残っている…。今でも優しさがにじみ出ているように私には感じてならない…。 


 この仏海上人、文政11年(1828年)に新潟県村上市安良町に近藤家の長男として出生している。18歳の時、湯殿山の注連寺に入門し、仏海という海号をもらい15年間、湯殿山の仙人沢という修行場で荒行を重ね、類稀なる霊力を得たという…。仏海さんを語る時、欠かせないのが膨大な荒行と寄付なんだけど、ある意味、元々はなっから即身仏になるのが目標だったフシが強く、丸っきり欲というものが、感じられない…。とにかく仙人沢での修行は過酷そのもので、燃え盛る一束の線香を手に真冬の川に飛び込み真言を唱えたりの荒行が主で、失神して川下に流され、危うく水死しかけた事も度々だったし、また、仏海上人の左手は石ころのように固まっていた!と言われているが、それは、左手の掌に油を注ぎ、それに灯芯を入れて、火を点じて修行をしたためと言われている…。更にある時は伊豆天城山中で難行をし、酒田市の海向寺でも3年ほど修行をして、35歳の時から即身仏になるための五穀断ち十穀断ちの木食行をはじめ、明治36年に遷化するまで、実に41年もの人生を荒行と貧民救済に当てたお上人さまなのね…。 
 
 その状態までして得た霊力は類稀だったのは疑いの余地はないが、明治36年までご存命だったから残された逸話も多いし、今でも仏海さんに逢った事がある方も多いから、たくさんの貴重な話と美談を私も聞く事が出来た。晩年は即身仏になって人の苦しみを救う事だけが生きがいだったので、漆を飲んで自分で作った入定塚に何度も入って生きながら入定したいと何度も言っていたが、明治に入って墳墓発掘禁止の法律が出来たため、入定自体が自殺とみなされ、何度も警察からお呼び出しもくらったようなのさ…。仏海さんはとにかく村上の町では人気が高く、特に子供たちから絶大の人気があったようで、袈裟の袂にはいつも飴玉なんかを忍ばせて子供を見ると与えたような人だったから、寺にはいつも子供たちで溢れていたんだと…。その時仏海さんが何か飲むんですわ…そうすると子供は「仏海さん何飲んでる?」って聞きますよね?すると仏海さんは「これは漆だよ」って正直に言うもんだから、子供は家に帰って親に言うんですよ「仏海さんまた漆飲んでた」って…その噂が警察の耳にも入るから「また漆飲んどるのか!」と散々止められても、仏海さんは漆を飲むのを止めなかったようなのね…。死後、仏海さんは即身仏を志していたのだからと、大勢の信者に見守られながら自ら作った塚に納められたという…。3年経ったら掘り返してくれと常々言っていた仏海さんだが、法律上の問題で、昭和36年になってやっと調査が入り、現在観音寺の立派な厨子に安置されている…。 
 
 私が始めて村上に行った頃は、まだご健在な仏海上人信者やお世話になったという方も多く貴重な素晴らしい話をたくさんしてくれた…。とにかく逸話が多く残っている方で、即身仏になるのが生きている目標だったから、仏海さん丸っきり欲がない!金が集まると寄付と貧民救済にあて、徒弟教育に力を尽くし80余名の弟子を持った。逸話をいくらか紹介すると、とにかく類稀なる霊力だから占いや祈祷の客が絶えなかった…。その当時、仏海さんの横には大きな鉄の屑入れがあったらしいんだけど、いただいたお布施を見もせず、その鉄の屑入れにポンポン入れちゃう人だったんだって…ある日、観音寺にドロボウが入った…。でもドロボウもさすがにお寺の金を根こそぎは…って躊躇してたら、何を思ったのか仏海さん「あんた!それじゃ足りないだろう~もっと持って行きなさい」ってドロボウにくれてやったり、除夜の鐘が鳴る大晦日になると信者を集め例の鉄の屑入れをひっくり返し、「これで、正月にお餅の買えない家にお年玉を!」って村上の町の家計の苦しい家にねずみ小僧のように金銭を突っ込んだりもした…。自分の還暦のお祝いの時など、信者さんたちから、現在の金額なら300万、米俵15俵の贈り物があったそうなのだが、「このような私のためにたくさんたくさんありがとうございます…」って口の渇かないうちに次の日には現在なら1000万近くの金銭とその15俵の米俵を新潟県庁にソックリ寄付してしまったそうです。「これで恵まれない人たちを救って下さい…」ってね…。実は仏海さん新潟県庁から”7回”も表彰されている方なんですよ…。 
 
 
 あるおばぁさんが、話してくれた話では、まだ自分が子供の時、よく母親について来て仏海さんの所に来ていたそうです。ただ、母親からは仏海さんは木食をしているためか、「あんた!仏海さんの顔を見ると目がつぶれるから決して見てはいけない!」とお灸を据えられていたそうなんです…。でもね、そう言われたら益々見たくなりますわな…。チラチラ見ちゃうんですって、そうするといつも仏海さんは気だるそうに、肘掛にもたれながら、優しい笑みで、「お嬢!よう来たな!」と言って掌にたくさんの菓子を乗せてくれたそうです。そしてその方の手を返し、手の甲をたくさんさすりながら、「お嬢!大きくなったら正しい人になり!正しい人になりぃよ…」って、さすってくれたそうです。その温もりが今でも忘れられない…って…。 
 
 私はその話聞いた時、涙が止まらなくなって嗚咽まで出ちゃいましたわ…。「正しい人?正しい生き方?」っていうのが、とっさに”これが正しい生き方!”って出て来なく、まして自分が本当に”正しい生き方”をしている自信もなく…。”正しい生き方”ってどんな生き方なんでしょう?って見た事もなく…。皆さん!正しい生き方って本当に知ってますか? 
 
 仏海さんが亡くなった時、上人さまの亡骸を湯かんした水を皆で”もったいない”と言って飲んだそうです…。仏海上人は生き仏だったんでしょうね…。 
 
 長い文章に付き合ってくれた方、本当にありがとうございました。また、機会を見つけて他のお上人さまの事も紹介したいと思います。観音寺の堀住職!元気だろうか?何かこのコラム書いていて、住職と仏海上人に久しぶりに、とっても逢いたくなってきました…。 
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▼コメント(11)
名前:タリズマンM  2018.10.29 12:59:05
イタガキ様 初めまして!  
村上を元気にする会ですか?素晴らしいですね!講演活動も、歴史の語り部としてご活躍中と思います。  
 
仏海さんの事は、元々、自分が子供を助ける事が出来なかったから、仏門に入ったとかも言われています。また、再度、くわしく知っている方いたら、ご連絡致しますね…。  
コメントありがとうございました。 
名前:イタガキ  2018.10.26 21:31:59
初めまして!「村上を元気にする会」を立ち上げて「郷土愛」をテーマにした講演会活動しております。第一回目が「耕雲寺の傑堂能正禅師」第二回目が村上の殿様だった「堀丹後の守 直寄」。そして第三回目は「仏海上人」をテーマにした講演会にしようと考えています。このコラムを読んで、いたく感動いたしました。もしよろしければ、他の逸話や村上市で仏海上人について詳しい方をご紹介いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。_(_^_)_ 
名前:タリズマンM  2010.02.20 18:40:45
雲さま  
 
お久しぶりです。  
雲さまは元気ですか?見てくれたんですね…。堀住職亡くなったようで、何か私も寂しいです。  
雲さんの顔も今年になってから、見てないので、是非一度顔出して下さいね。 
名前:雲  2010.02.20 18:10:01
マスターお久しぶりです。  
ありがとうさんのコメント見てびっくりしましたよ;;  
ネットで調べても亡くなったことが書かれていたので花でも贈ろうかと思って、直接ばあちゃんに電話しちゃいました。  
二十日が仏海様が亡くなった日でもあるので3/20に墓に入れてあげると話していました。  
とりあえず報告しておきます。  
相変わらずばあ~ちゃん元気な声でした(笑)  
名前:タリズマンM  2010.01.26 16:52:24
ありがとうございます さま  
 
コメントありがとうございました。  
堀住職…ご永眠されましたか…仏海さまの元へ行かれたのですね。  
 
何も恩返し出来ず、無念です。  
近いうち、観音寺のほうへ出向き、堀住職・仏海上人共々、手を合わせに行きたいと思います。ありがとうございます様、こちらこそ、ありがとうございました。感謝します。  
 
また、仏海さま・堀住職との縁が、ありがとうございます様とのご縁が出来た事も慈悲を感じました。感謝します。  
 
また、是非コメントなど寄せてくださいませ! 
名前:ありがとうございます  2010.01.25 19:25:45
お恥ずかしい・・・  
正しくは「仏海様」です。  
↓ 
名前:ありがとうございます  2010.01.25 19:22:29
はじめて、コメントをさせていただきます。  
観音寺の信者の一人であります。  
仏界様のことを丁寧に取り上げてくださり、ありがとうございます。  
「堀住職」の文字を見つけて、うれしくなりコメントすることにしました。  
堀周晃住職・通称ののさまですが、先日の1/20 99歳にて永い眠りにつかれました。そういえば、ののさまも戦傷ですが左手に傷をお持ちでした。そして、子供の大好きな優しいののさまでした。  
ネット上では通り一遍の説明書きが多い中、心のこもった丁寧な述懐にご縁があったことを有難く存じます。 
名前:タリズマンM  2007.10.26 13:27:21
雲さん!返事少し遅れちゃってごめん!実は、久しぶりに、酷い風邪なんかひいてしまって、ここのところ最悪な体調でおりました。  
 
 ところで、北海道お遍路?今年から始まったって?全然知らなかったわ!でも距離あるから、かなり大変でしょうね…。人のためにも自分のためにも、たくさんお参りして功徳を積んでいるんでしょうね…。素晴らしい!頑張れ!雲さん!応援しております。私はとにかく早く風邪が良くならない事には…。 
名前:雲  2007.10.24 19:30:46
北海道お遍路って今年から開場されてます!去年に話しは聞いていてお遍路の旗が立ってたの見て思いつきでやり始めましたwちなみに伊達にもお寺ありますよ~♪距離は四国から見て3、4倍、北は天塩から南は函館まであるのでなかなかきついです・・・そして昨日寺の方がいなくてご朱印貰えなかったという事態が発生しました・・・始めたばっかりだから手際が悪いのかな・・・ 
名前:タリズマンM  2007.10.24 15:40:49
雲さん!随分色々がんばっているようで、感心しますわ…。北海道にもあるんですねそんな寺…。歴史が浅い土地柄もあって、なかなか北海道のお寺だと、開かれた窓口じゃないんで、檀家でもない限り、お参りすら出来ないお寺もほとんどだし…。  
 
お遍路って四国に行ってる訳じゃないですよね?願を掛けながら、お寺まわりをする事も立派なお遍路だと思いますよ。いつまでも、その人に対する優しさや慈愛を忘れないようにね!素晴らしい心をいつまでも大切に!また、近況でもありましたら、コメントいつでもお待ちしております。 
名前:雲  2007.10.23 22:59:16
こんばんは雲です^−^  
最近亡くなった利用者さん、親友の父ちゃん、まったく先祖供養とかしていなかったのとか、いろいろひっくるめてお遍路に最近行ってるんですけど、お!!!っという所をみつけました!注連寺みたいな天井画があったんですよ!聖俗百華面相図みたいな絵と注連寺では馬ですけどそこは阿吽の龍という話しでした。北海道で同じような絵を見るとは・・・少し山形が懐かしく感じましたw 

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1995年から、この伊達市に、占いスペースを開き、運命アドバイザーとして占いをおこなっています。  
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