■彗星と流星
巨大な楕円軌道を描きながら、光輝く長い尾を引いて天空を走る彗星は、古くから東洋でも西洋でも、不吉な出来事をもたらす凶星と見なされて来ました…。中国では、彗星が見える時は戦争や大水害が起こると脅えたそうですが、一方では古いものを一掃して新しいものに変える天空の掃除屋さんとも見なしたそうです。
彗星というのは光芒が一方向だけに向いているものの事で、光芒が四方に出ていたら孛星(はいせい)、末のほうが鋭くなっていて東北方か西方に現れれば天焙等というように、形状その他で呼称が異なるらしい…。漢の京房は、彗星は五行の星から生じ、全部で35種あって、水害・旱害・兵乱・喪事・飢饉・変乱が起こり、それが指し示す方角では国が滅んで王が死ぬか、将軍が殺されるとしてます。
これに比べると、流星は性格的に穏やかなようで、西洋占星術ではほとんど注目の対象になっていませんが、古代中国では流星を「天の使者」としていて、大きな流星は使者の任務が大きく、小さければ任務も小さいという…。また、音が高いのは怒っている証であって、速度が速いのは急ぎの使者、遅いのは急を要しない使者、大きくて光がないのは民衆の用事、小さくて光があるのは貴人の用事等と考えたそうです。
不吉な流星もあって、天地の秘密に通じた大軍師として名高い諸葛孔明は、建興13年(235)に大軍を率いて魏を討ち、渭南に陣を張った。この時、流星が現れて東北から西南に流れ、孔明の陣営に3回落ちて、2度元に戻った…。流れる時は大きく、戻る時は小さかったが、この流星は孔明の死の予兆で、案の定、その年の9月に陣没した…。諸将は陣を焼き払って退却しましたが、その時互いに̪私怨を抱き、殺し合ったそうで…。
日本では、古くから流星を魂と見なし、人が死ぬと魂が流星となって天に還るとも信じられていた…。また、女性に恋をした男の恋い焦がれた魂が睡眠中に抜け出して、その女性の元に飛んでいる姿だ!という考え方もあったらしい…。流星を「夜這い星」と言ったようで、「枕草子」にもこの表現が出て来る。今は、願い事をお願いする星でいいと思いますけどね…。