■わたしが生まれた頃に「生まれた」ジャズ。
おはようございます。 久々に寒い日が続いていますね。
ところで「わたしが生まれた頃に「生まれた」ジャズ」
という分かったような分からないようなタイトルですが。私,1965年12月20日生まれですが,自分の誕生日のころに,わたしの好きなブルーノート・レコードはどんな録音をしていたのか,名エンジニア,ルディ・ヴァン・ゲルダーのディスコグラフィーから探して集めてみたことがありました。
わたしの好きなミュージシャンの中ではこの4枚が生まれていました。
ブルー・ミッチェル:「ザ・シング・トゥ・ドゥ」(1964年7月30日録音)
ブルー・ミッチェル:「ダウン・ウィズ・イット」(1965年7月14日録音)
ハンク・モブレイ:「ディッピン」(1965年6月18日録音)
ハンク・モブレイ:「キャディ・フォー・ダディ」(1965年12月18日録音)
「キャディ・フォー・ダディ」はわたしが生まれる2日前の録音です。
クリスマス前なので「(車の)キャデラックをお父さんにプレゼントしなさい」ということなのでしょうか・・・。
どのアルバムも時代の流れから8ビート,ボサ・ノヴァを取り入れていますが,ブルー・ミッチェルとハンク・モブレイでかなり方向性が違ってきます。
ブルー・ミッチェルは,レギュラー・バンドを組んだばかりで,同じメンバーによる演奏です。
ブルー・ミッチェルはチック・コリアとアル・フォスターの当時の若手が張り切っており,2枚とも覇気のある演奏を楽しめます。
それに対して,ハンク・モブレイは・・・。
「ディッピン」は言わずと知れた名盤ですが,「キャディ・フォー・ダディ」は・・・。
残念ながら惰性で作られたような盤で,個人的には聴けたものではありません。
モブレイは「ディッピン」で燃え尽きてしまったのでしょうか。
よく「ディッピン」は「モブレイ最後の名盤」なんて紹介されます。
ブルー・ミッチェルの「ダウン・ウィズ・イット」で日野皓正の「アローン,アローン・アンド・アローン」も取り上げられています。
ジャケットの変遷も,サイケの色が濃くなっているのも明らかです。
モダン・ジャズ落日の時期だった1965年,新鮮な若手を加入させて生き残りを図るか,惰性でアルバムを作ってしまうか,そこが分かれ道だったようにも思います。
でもこれは50年経った今だから言えることで,「キャディ・フォー・ダディ」もオクラ入りするどころか,当時は少なかった4色刷りのカラー・ジャケットで発売されましたら,ブルーノートは売る気満々だったのでしょう。