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[2015.02.10]
■わたしが生まれた頃に「生まれた」ジャズ。
おはようございます。 
 
久々に寒い日が続いていますね。 
 

ところで「わたしが生まれた頃に「生まれた」ジャズ」

という分かったような分からないようなタイトルですが。 
 
私,1965年12月20日生まれですが,自分の誕生日のころに,わたしの好きなブルーノート・レコードはどんな録音をしていたのか,名エンジニア,ルディ・ヴァン・ゲルダーのディスコグラフィーから探して集めてみたことがありました。 
 
わたしの好きなミュージシャンの中ではこの4枚が生まれていました。 


ブルー・ミッチェル:「ザ・シング・トゥ・ドゥ」(1964年7月30日録音) 
ブルー・ミッチェル:「ダウン・ウィズ・イット」(1965年7月14日録音) 
ハンク・モブレイ:「ディッピン」(1965年6月18日録音) 
ハンク・モブレイ:「キャディ・フォー・ダディ」(1965年12月18日録音) 
 
「キャディ・フォー・ダディ」はわたしが生まれる2日前の録音です。 
 
クリスマス前なので「(車の)キャデラックをお父さんにプレゼントしなさい」ということなのでしょうか・・・。 
 
どのアルバムも時代の流れから8ビート,ボサ・ノヴァを取り入れていますが,ブルー・ミッチェルとハンク・モブレイでかなり方向性が違ってきます。 
 
ブルー・ミッチェルは,レギュラー・バンドを組んだばかりで,同じメンバーによる演奏です。 
 
ブルー・ミッチェルはチック・コリアとアル・フォスターの当時の若手が張り切っており,2枚とも覇気のある演奏を楽しめます。 
 
それに対して,ハンク・モブレイは・・・。 
 
「ディッピン」は言わずと知れた名盤ですが,「キャディ・フォー・ダディ」は・・・。 
 
残念ながら惰性で作られたような盤で,個人的には聴けたものではありません。 
 
モブレイは「ディッピン」で燃え尽きてしまったのでしょうか。 
 
よく「ディッピン」は「モブレイ最後の名盤」なんて紹介されます。 
 
ブルー・ミッチェルの「ダウン・ウィズ・イット」で日野皓正の「アローン,アローン・アンド・アローン」も取り上げられています。 
 
ジャケットの変遷も,サイケの色が濃くなっているのも明らかです。 
 
モダン・ジャズ落日の時期だった1965年,新鮮な若手を加入させて生き残りを図るか,惰性でアルバムを作ってしまうか,そこが分かれ道だったようにも思います。 
 
でもこれは50年経った今だから言えることで,「キャディ・フォー・ダディ」もオクラ入りするどころか,当時は少なかった4色刷りのカラー・ジャケットで発売されましたら,ブルーノートは売る気満々だったのでしょう。 

この4枚の中のお気に入り,「パーセプション」をご紹介します。ジャケットをクリックしてください。

このたそがれた感じが何とも言えません!

 

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中国足心道足揉み伊達療術院
中国足心道足揉み伊達療術院

わたしのプロフィールです。

↓↓ 

昭和40年,豊浦に生まれる。

幼少時代を大滝,伊達,室蘭で過ごす。

神奈川,札幌で,印刷,デザイン関係の仕事に従事。

平成13年,健康の大切さに目覚め,中国足心道療術院会員となる。

その後,マレーシアにて3年間居住,マッサージの修行。

帰国後,再び当地に開院。

 

唯一無二の趣味は音楽。

2011年,知る人ぞ知る(知らない人はだ~れも知らない)夭逝のジャズ・ピアニスト,ソニー・クラークの完全コレクションを達成する。

 

上の写真はソニー・クラークの歴史的な名盤「クール・ストラッティン」(1958年)。

ジャズ喫茶華やかかりし頃,このレコードが掛からない日はなかったことでしょう。

「クール・ストラッティン」とは英語で「気取って歩く」,「軽やかに歩く」と言う意味があります。

皆様がこの女性のように町を軽やかに歩けることを願いつつ,わたしは一生懸命皆様の足を今日も揉み続けます。

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