■ファティマ大預言
1999年、7の月は無事に去り、ノストラダムスの預言はハズレた!と喜んでいるあなた!はっきり言って甘すぎます!この世界には、まだまだ信憑性や精度の高い預言や予言はかなり残っている訳で、ノストラダムスの予言にしたって、カバラ数秘術の13という数字を足し忘れているから、その予言は2012年じゃ!って研究者もいるし、マヤの神官の預言だって、マヤ暦自体、2012年12月22日で終わっているし、死海写本、日月神示、出口ナオのお筆書き、ジーン・ディクソンやエドガー・ケイシーの預言等、挙げればキリがないくらいですわ…。今回はそれらの中で、ファティマ大預言というのを紹介しようと思う…。
ファティマ大預言とは、ポルトガルのファティマに現れた聖母マリアの預言の事なのさ…。
1917年ファティマに住む3人の子供たちヤンシタとフランシスコとルシアの前に、聖母マリアが現れて、預言と警告を残した。彼らの親は熱心なクリスチャンだったらしく、彼らも小さな時から聖堂に熱心な祈りを捧げる事が日課でもあったんだと…。
1917年5月13日、聖母は小さなヒイラギの木の上に立って、彼らに預言したという…。まず、第一の預言は第一次世界大戦の終結、第二の預言は第二次世界大戦の勃発と核兵器の使用、ソ連の台頭等、そして第三の預言が…。

実は第三の預言は、マリアの指示通り、1960年に公開されるはずだったんだけど、当時のヨハネ23世が、預言の内容のあまりの恐ろしさに、突如公開を禁じた経緯がある。第一の預言と第二の預言は1942年に公開され、その的確な内容のためか当時でも世界に衝撃が走った訳だから、第三の預言を知りたい!と思った人も多かったはずで…まして、その恐ろしさから、バチカンは2000年まで、預言を秘密文書として、隠して来た。
ファティマの預言が再び話題になったのは、2000年6月の事で、バチカンがついに!第三の預言を公開した!ただ、その内容がさ、1981年に起きたヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件を示唆する内容だった…?普通誰でも疑問に感じてしまいますよね?第一・第二の預言が戦争関連だったのに、第三の預言が教皇の暗殺”未遂事件”?って違和感あり過ぎですよね?
第一と第二の預言の時には不思議な符号がある事はあまり知られていないんだけど、第一次世界大戦が始まった1914年同年、教皇になったばかりのベネディクト15世は、この大戦に心を痛め、参戦国に働きかけ、可能な限り妥協点を見つけて和解に導こうとした…。しかし、当時教皇の声に耳を貸す者は誰もいなかった。そこで、彼が取った最後の手段は、聖母マリアにすがる事だった。1917年5月5日、ベネディクト15世は、「祈りの十字軍」を組織して、全世界のカトリックの教会に勅令を出し、戦争終結のため、聖母マリアに祈りを捧げる事を命じた!それから8日目の5月13日、聖母は呼びかけに応じるように、ファティマの牧童たちの前に出現している…。そして、聖母は当時、果てなき泥沼にあった第一次世界大戦が、間もなく終結する事を告げ、次の警告が守られないと、その後もっと大きな戦争が起きると預言したのさ!聖母は「人々は度々、ロザリオを祈り、罪の報いをし、悔い改めなければならない…と!戦争の原因は人間の犯す罪から生まれるからである!と」しかし、この警告は守られず、第二の預言も第二次世界大戦となって成就してしまった…。

そんな日が来た!としても私は変わらない一日を過ごすだけだと思いますけど…。