■スズメのぴーちゃん,とうとうお別れの時が・・・。
おはようございます。 きょうは久々にからっと晴れていますね!
出かける前に洗車をしよう。
ところで一昨日(9月12日),12歳のぴーちゃんと,とうとうお別れの時が来てしまいました。
そのご報告を。
今週に入って,ちょっと大丈夫かな?という日が続いていました。
生まれた直後,巣から落ちた時に負った足の障害のため,姿勢を保つことができなくなっていました。
夜,巣の掃除をするときに籠から出すのですが,亡くなる前の晩も,もう羽根がボロボロで,飛べないに関わらず,わたしから妻の手に懸命に飛び移ろうと愛嬌を振りまいていました。
最期の晩は手の中でほとんど寝ていましたが,好物のチーズを細かくしたもの(数ミリ)は美味しそうに食べていました。
先週あたりから止まり木には止まれなくなり,後期高齢者特別待遇で設置した「床暖」の上でいつもまったりしていました。
一昨日の朝,明らかに様子がおかしく。
朝から,手で抱っこしてあげてもずっと寝ています。
そしてどんどん呼吸の回数が少なくなっていきました。
「ピピッ」と小さく鳴きました。
水を数滴飲み干しました。
最期は妻の手の中で,呼吸を一回一回丁寧に,でも必死にして,最期の一度の呼吸を終え,同時に心臓の鼓動も止まりました。
その丁寧な呼吸の仕方が,まるで,ぴーちゃんが我が家に来た日,必死にえさをねだる姿に似ていました。
ぴーちゃんは家に来た日から今日息を引き取るまで,まるで「生きたい!」ということを全身で体現しているようでした。
ぴーちゃんが我が家に来た日の写真です。
そして2日後・・・。
9歳の頃。この頃がぴーちゃんらしさを保てていた最後の時期かも。
この頃から羽毛の生え変わりの周期が遅くなり,減っていきました。
下の写真は先月(8月)末のものです。
すっかり「ボロスズメ」になりましたが,まだまだ甘えて遊んでほしい顔でこっちを見ています。
掲載するか迷ったのですが,ぴーちゃんは狭いところに入り込むのが好きだったので,簡易の棺を作りました。
ボロボロだった羽根は名誉のため隠してあげました。(死体を見るのが不快な方ごめんなさい)。
勝手にこういうところに入り込むのが好きだったので,今にでも元気に飛び出てきて肩にでも止まりそうです。
ぴーちゃんの「技」として,決して人の手の中でフンをしない,ということがありました。この机の上に置いてあげるとフンをしたり,フンがしたくなると手をつついてきて,降ろすとフンをすることも多々。
最期の晩も手の中で寝ていましたが,フンは体をずらして,手の外にしていました。
威厳があり,マナーも身についていた,と思いたいです。わたしたちに対する精一杯の感謝だったのかも。
2005年5月26日,まだ目の開いていない状態でわたしの目の前に巣から落ちてきて,12年と4か月弱,ぴーちゃんは我が家のアイドルであり,わたしたちにたくさんの笑顔を提供してくれました。
考えてみると,ぴーちゃん,亡くなる前の晩から相当調子が悪かったんだと思います。
でもがんばって夜を生き抜き,朝,家族3人にそれぞれお別れをして,最期は一番世話をした妻の手の中で,うちに来た時のような仕草を何度かして,亡くなりました。しかもそれは朝起きて数時間の出来事。わたしたちに看病もろくにさせず。医療費もかけさせず。わたしの仕事をキャンセルさせることもなく。すべてをわきまえていたようです。
2017年9月12日9時12分,ぴーちゃんは死んでしまいました。
もう声は届きませんが「ぴーちゃん,うちに来てくれて本当にありがとう!」と言いたいです。
最期に一曲。
ブルックナーの交響曲第7番第2楽章です。
この曲はブルックナーが,尊敬していたワーグナーの死を悼んで書いた曲です。
我が家に来てくださった皆様,これまでぴーちゃんをかわいがってくださり,ありがとうございました。