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[2011.01.12]
■ぶらり全駅下車の旅 (西八王子~高尾)
西八王子駅から、また甲州街道に出る。 
この辺りは銀杏並木で有名である。 
数キロに及ぶ銀杏並木は、紅葉した時は見ものである。 
 
まだ紅葉には少し早かったが(10月18日)、銀杏の実がなっている。風が吹くと、銀杏の実が空から降って来る。 
それをオバサンが拾っている。 
 
甲州街道の銀杏並木 


歩道にも銀杏の実が沢山落ちていて、それが歩行者に踏み潰されている。甘酸っぱいような匂いが、一面に漂っている。 
 
西に向うに従って、紅葉が少し進んで行く。 
やはり、この辺りからはかなり気温が低くなるのだろう。 
 
道路の両側にはもう商店は殆ど無くなる。 
たまにある商店は、長い年月をそこで商って来たという雰囲気で、店の扉も木製で、かなりガタが来ている。 
 
銀杏並木を行くY君とK君 
 
更に進むと多摩御陵に行く交差点と交わる。 
ここを右に曲がると、多摩御陵に行ける。 
今では武蔵陵墓地と言っているらしいが、その名前は昭和天皇が亡くなられてから変ったようだ。 
 
私の時代の人達は「多摩御陵」の方が分かり易い。 
多摩御陵とは大正天皇ご夫妻、昭和天皇ご夫妻のお墓のある場所である。 
 
たわわに実る銀杏の実 
 
更に銀杏並木を進むと、左手に高尾駅が見える。 
黒いレトロな感じの駅舎がなかなかいい。 
ここまで来ると、駅前にはお土産屋がある。 
もうここは都会ではなく、観光地なのである。 
 
少数の人のご希望に応えて、高尾駅まで歩いて来た。 
少しはJR中央線の雰囲気が分かってもらえたなら、幸いである。 
 
Y君とK君は、お付き合いをありがとう。 
 
中央線 高尾駅 
 
(おまけの話) 
昔のことであるが、西八王子には千人隊という組織があった。その名残で、今でも千人町という地名が残っている。 
 
オヤジから聞いていた話では、『先祖は八王子千人隊だ』ということだった。 
その役割は「日光東照宮の火消し」のはずだったのに、インターネットで調べたら、どうやら違うようだ。 
徳川家康が江戸城に入った時に作った組織で、武士らしい。 
 
紅葉の始まった銀杏 
 
死んだオヤジを疑うのも気の毒なので、更に調べてみた。 
その結果、間違いではないことが分かった。 
東照宮の火消しも兼ねていたらしい。 
 
その後、時代が過ぎて北海道苫小牧に移住したが、多摩地区のような肥沃な土地でなかった為に餓死者が続出し、また八王子に戻ったらしい。 
 
オヤジも苦労したが、その先祖も結構苦労していたようだ。 
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▼コメント(1)
名前:H.YAMA  2011.01.12 10:47:03
甲州街道の銀杏の枝の剪定が始まると何時も思うのだが、銀杏の生命力の強さである。枝のほとんどが切り落とされ、電線に邪魔になるとばかりに頭を切られて丸裸である。雄の銀杏も雌の銀杏も丸裸である。銀杏の葉で前を隠したくならないのかな?そんな銀杏が1年後の秋にはキンナンをたわわに付けておばさん達を喜ばせ、八王子市民は「銀杏祭」で賑わいを楽しむ。三多摩の住民にとっては、国立の桜並木の4月も楽しみであるが、八王子の銀杏並木の9月も楽しみの一つである。  
都心に比べて整備された緑の少ない多摩地区にとっては貴重な自然遺産でもある。 

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プロフィール
心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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