■ベトナム(31)・・・ベトナムに溶け込む
(2013年8月15日) 私はあるベトナム人から「黙っていればベトナム人と思われる」と言われた。どうやら私の顔はベトナムにはよくある顔のようだ。
私は自分では典型的な「日本人顔」だと思っていた。
そういえば私が市場や床屋に行くと、みんなベトナム語で話し掛けて来る。
魚売りも冷蔵庫が無いので、腐らないか心配だ。
ベトナムで暮らし、ベトナム料理を食べ、ベトナム人に囲まれて、ベトナム語を耳にして、バイクの洪水の中を道路を渡り、ベトナムのお金を使っていれば、自然とベトナム人のようになって行くのかもしれない。
歩道でお米を売る女性。
毎朝、ホテルの窓から見下ろすと見える「近所の人達とのお茶とおしゃべり」、「学校へ行く時にすれ違う見なれた人達や風景」、「学校で顔を合わせるベトナム人の先生」、
「教室で教えているベトナム人の生徒達」、「食事に行くベトナム料理店」。考えてみれば、私から日本は遠くなってしまった。
学校の隣のバイク一時預かり所。 1日で4000ドン(200円)
それでも私に話せるベトナム語はただ1つ。「シンチャオ」だけだ。
これは便利なことばで、いつでも、誰に対しても使える「こんちわ」、「お早う御座います」、「こんばんわ」など、なんにでも使える挨拶の言葉である。
小さな食堂がどこでも沢山ある。 ベトナム中が食堂のようだ。
しかしベトナム語の話せない私は、いつも日本語に囲まれている。
しかも少し変な日本語である。
ベトナムに「溶け込んでいながら、溶け込んでいない」という変な状態である。
背の低い椅子がこの国の特徴。 座ってみたら意外といい。
首から下だけベトナムに溶け込んでいるのである。
いや違うなー。「頭以外は・・・」と書き出して、それも違うと思った。
頭も床屋はベトナムだから、正確には「脳以外はベトナム」かもしれない。
ベトナムのカップ麺。 ここでは高級品である。
この国では日本の「エースコック」が50%のシェアを持っている。
人生の終盤になって、私は他の人が経験出来ないような貴重な体験をしている。日本に残っている家族は寂しい思いをしているかもしれないが、これもいずれ来る「私のいない世界」を、いま予行演習していると思ってもらうしかない。
公園のカップル。
(おまけの話)
男性の先生のXさんが、私に帰宅の挨拶に来た。
親しくしている先生たちは、いつもそうしている。
「早いですねー。今日はどうしんたんですか?」と聞いた。
信号が変ると、バイクが突進してくるので怖い。でも信号は殆ど無い。
すると彼は「今日は結婚記念日なんです」と答えた。
私 「何年ですか?」
X 「2年です」
私 「奥さんは仕事をしていますか?」
X 「していません」
私 「結婚記念日で、どこかレストランに食事に行くのですか?」
X 「いえ。家で食事をします」
チマキを歩いて売る男。この国でも今では珍しい。
私 「結婚記念日なので、奥さんに何か言うのですか?」
X 「はい。ここまでお互いに頑張ってきたね。これからもよろしくと言う」
私 「愛しているとは言わないの?」
X 「恥ずかしいので言えない。でも私は日本語が分かるし、奥さんも少し分かるので、日本語でなら恥ずかしくないので、愛していると言おうと思います」
ベトナム人も日本人に似て、奥さんに面と向かって「愛してる」とは言えないようだ。
少し清潔な屋台のお惣菜。