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[2020.08.29]
■ベトナム(31)・・・ベトナムに溶け込む 
(2013年8月15日) 
 
私はあるベトナム人から「黙っていればベトナム人と思われる」と言われた。どうやら私の顔はベトナムにはよくある顔のようだ。 
 
私は自分では典型的な「日本人顔」だと思っていた。 
そういえば私が市場や床屋に行くと、みんなベトナム語で話し掛けて来る。 
 
    魚売りも冷蔵庫が無いので、腐らないか心配だ。 


ベトナムで暮らし、ベトナム料理を食べ、ベトナム人に囲まれて、ベトナム語を耳にして、バイクの洪水の中を道路を渡り、ベトナムのお金を使っていれば、自然とベトナム人のようになって行くのかもしれない。 
 
     歩道でお米を売る女性。 
 
 
毎朝、ホテルの窓から見下ろすと見える「近所の人達とのお茶とおしゃべり」、「学校へ行く時にすれ違う見なれた人達や風景」、「学校で顔を合わせるベトナム人の先生」、 
 
「教室で教えているベトナム人の生徒達」、「食事に行くベトナム料理店」。考えてみれば、私から日本は遠くなってしまった。 
 
学校の隣のバイク一時預かり所。 1日で4000ドン(200円) 
 
 
それでも私に話せるベトナム語はただ1つ。「シンチャオ」だけだ。 
これは便利なことばで、いつでも、誰に対しても使える「こんちわ」、「お早う御座います」、「こんばんわ」など、なんにでも使える挨拶の言葉である。 
 
小さな食堂がどこでも沢山ある。 ベトナム中が食堂のようだ。 
 
 
しかしベトナム語の話せない私は、いつも日本語に囲まれている。 
しかも少し変な日本語である。 
ベトナムに「溶け込んでいながら、溶け込んでいない」という変な状態である。 
 
背の低い椅子がこの国の特徴。 座ってみたら意外といい。 
 
 
首から下だけベトナムに溶け込んでいるのである。 
いや違うなー。「頭以外は・・・」と書き出して、それも違うと思った。 
 
頭も床屋はベトナムだから、正確には「脳以外はベトナム」かもしれない。 
 
ベトナムのカップ麺。 ここでは高級品である。 
この国では日本の「エースコック」が50%のシェアを持っている。 
 
 
人生の終盤になって、私は他の人が経験出来ないような貴重な体験をしている。日本に残っている家族は寂しい思いをしているかもしれないが、これもいずれ来る「私のいない世界」を、いま予行演習していると思ってもらうしかない。 
 
     公園のカップル。 
 
 
(おまけの話) 
男性の先生のXさんが、私に帰宅の挨拶に来た。 
親しくしている先生たちは、いつもそうしている。 
「早いですねー。今日はどうしんたんですか?」と聞いた。 
 
信号が変ると、バイクが突進してくるので怖い。でも信号は殆ど無い。 
 
 
すると彼は「今日は結婚記念日なんです」と答えた。 
私 「何年ですか?」 
X 「2年です」 
私 「奥さんは仕事をしていますか?」 
X 「していません」 
 
私 「結婚記念日で、どこかレストランに食事に行くのですか?」 
X 「いえ。家で食事をします」 
 
チマキを歩いて売る男。この国でも今では珍しい。 
 
 
私 「結婚記念日なので、奥さんに何か言うのですか?」 
X 「はい。ここまでお互いに頑張ってきたね。これからもよろしくと言う」 
私 「愛しているとは言わないの?」 
 
X 「恥ずかしいので言えない。でも私は日本語が分かるし、奥さんも少し分かるので、日本語でなら恥ずかしくないので、愛していると言おうと思います」 
 
ベトナム人も日本人に似て、奥さんに面と向かって「愛してる」とは言えないようだ。  
 
     少し清潔な屋台のお惣菜。 
 
 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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