■もう殆ど親戚だ
私は夏の間に伊達に滞在するようになって、今年で6年目である。 2年目にイコロ農園のTさんと知り合い、その後、ズーと親しくさせてもらっている。
その最大の理由は、私はリタイアした男、Tさんは半ばリタイアした男という点で、リタイアが取り持つ縁ではないかと思っている。
もう1つの理由は、2人とも一緒に農業をやっていながら殆ど素人の域を出ていないということだろうと思う。
そんなことで、いまや私はT家の親戚みたいに扱われている。
ある日のことである。
Tさんの息子さんの嫁さんの両親が東京からやって来ることになった。そして、イコロ農園でごく内輪で会食をすることになった。そうなると親戚扱いの私達夫婦はそこに呼ばれる。
なんか変ではあるが、まーいいかー。
少し遅れて私達が到着すると、イコロ農園ではTさんの親戚が大勢集まっていて、親戚紹介をしていた。
その場に出会ってしまった私は自己紹介をする羽目になった。みんな良い人達ばかりなので、私達を親戚のように受け入れてくれた。
カニ、イカ、焼き鳥、アスパラガス、ピザなどを次々と焼いて出してくれる。
親戚の中に入り、親戚のような態度で楽しい時間を過ごした。
もしかしたら、その日から両家の親戚として固められたのかもしれない。
KさんとIさんから頂いたイチゴを持参したら、お土産にカニをもらってしまった。
『もらったイチゴでカニを釣る』とはなんとも効率の良い話だ。
(おまけの話)
私がまだ小学校の低学年の頃の話である。
正月休みになると父親の友人が我が家の遊びに来ていた。
その中に若い男性と若い女性がいた。
だが2人は一緒に我が家に来ていたわけではない。
彼らは共にかなりの津軽訛りがあったのを覚えている。
男性は醍醐さんという名前で、今でいうサラリーマンだったようだ。午前中からやって来て、ひとしきり話が済むと自分で持って来た小説をずーと読んでいた。そして夕食を一緒に食べると帰って行った。
一方の女性は斎藤さんという名前で、カメラマンだったようだ。ひとしきり話が済むと私達と一緒に多摩川上水に出掛けた。
そして小金井橋の袂でお土産に持って来たサクランボを食べた。それが私が生まれて初めてサクランボを食べた思い出である。
今になっては彼らが誰で、どんな関係の人だったのか分からない。両親が生きている間に聞いておけばよかったと思うと残念である。
きっと、『もう殆ど親戚』のような人達だったのだろう。
イコロ農園のTさんの孫達も将来、同じように私を思い出すのだろうか?