■花園神社の宵闇祭
5月25日に、久し振りに新宿に行った。
小金井に住んでいた頃は、「東京に行こう」と言えば、殆ど新宿のことだった。
今では「東京へ行こう」なんて言う人はいないと思うが、私の世代の者にはこれが分かる。
5月25日にアメリカからトランプ大統領が来日したが、それとは何も関係ない。
午後6時少し前に、新宿5丁目の青梅街道を横切る神輿。
この日に新宿の花園神社で「宵闇祭」が行なわれると知り、「たまには夜の新宿を見てみよう」と思ったのである。
午後3時45分から武蔵野館で映画を見て、暗くなるのを待った。
しかしこの時期はなかなか暗くならないので、様子を見に花園神社に向かった。すると幸運にも新宿5丁目交差点を神輿が横切り、花園神社に向かうところに出合わした。
まだ明るいので、人出もそれほど多くない。
「新宿」という地名は「新しい宿」という意味で、日本橋から最初の宿場が「高井戸」であったので、この地を支配していた内藤家が徳川家康に5600両の巨額の金を上納して新しい宿を認めてもらった事に始まるそうだ。
新宿は宿場町として賑わうと共に岡場所としても知られるようになった。「岡場所」とは吉原などと違い、無許可の私娼のいる場所である。
暗くなる時の為に、仕込みに忙しい屋台のオバサン。
そんな歴史があるので、新宿は歌舞伎町辺りを中心に当初から怪しい雰囲気があるのかもしれない。
花園神社と言えば、「花園饅頭」が思い出される。
ここの饅頭は驚くほど、値段が高い。
私の現役の時に、私の会社のすぐ近くに花園饅頭の工場があったので、得意先に行く時などはよく買って持参した。
でも近所のよしみでも、値引きはしてくれなかった。
午後6時15分頃に、神輿が神社を出て行った。(宮出かな?)
早目の夕食を食べていたら暗くなったので、午後7時に花園神社に向かった。鳥居を入ると、両側にたくさんの夜店の屋台が出ている。
狭い参道を歩けないほどの大勢の人達が、お参り、屋台で買い物、見物などでひしめいている。白人の外国人が多いのには驚かされる。
身なりからして、観光客ではないように思う。
暗くなり参道は人で溢れて来た。
最近の屋台は以前より、健全な感じがする。
香具師が仕切っているのは変りは無いと思うが、色々な食べ物を作ったり、子供相手の金魚すくいや風船すくいなどの店の者に若者が多い。
しかも悪そうな顔をしていない。
チョットしたアルバイト気分でやっているのかもしれない。
買い食い客が増えて来た。
私の子供の頃には、母親が厳しくて「屋台の食べ物は買って食べては駄目!」と言われて育ったので、今になっても買って食べる気がしない。
もっと不衛生なベトナムの市場の屋台で食べて平気だったのに、日本ではなぜか駄目だ。
この日の夜の花園神社は屋台だけで、他には何も行事が無かった。
神社の前の石段は休む人で溢れ返っていた。
(おまけの話)
花園神社の夜店を見た後に、新宿ゴールデン街を見に行った。
ゴールデン街は花園神社の裏手の方角で、歌舞伎町の東の外れにある。
このゴールデン街の歴史も面白い。
終戦後、新宿駅東口にあった闇市が進駐軍による「露店取り払い」により、何も無い原っぱだったここへ引っ越した。
新宿ゴールデン街は見物人も多い。
そして昭和33年の売春防止法ができるまで、「青線」と呼ばれる非合法売春地帯として隆盛を迎えた。
ここには3階建ての建物が多いが、それは当時の青線の名残である。
その後、バーや飲み屋に代わり、いつからか作家、詩人、漫画家、映画関係者などの文化人が集まる場所となったが、世間にはほとんど知られていなかった。
洋風と和風が隣り合っている。
酒も飲まない私がゴールデン街をぶらつくのは憚られるが、思い切って行ってみた。店は1間くらいの狭い店ばかりで、奥に細長い。
道路から中が見える店がある。
そんな店では、必ず白人の外国人が飲んでいる。
きっとガイドブックに載っているのだろう。
怪しげなボッタクリの店は無いのだろうか?
他人事ながら、酒を飲まない私は心配だった。
外国人相手の飲み屋が増えた。撮影に来ている外国人もいた。(海外でも、かなり有名らしい)