■横須賀見聞記(2)・・・戦艦「三笠」
(2014年11月17日) 「軍港めぐり」を終えて、次は徒歩20分で戦艦「三笠」の見学である。
戦艦「三笠」と聞いて、分かる人は相当に年長者である。
この船は日露戦争で大活躍をしたのだが、日本の港に入る時に港の中で火薬庫の大爆発があり沈没してしまった。
戦艦「三笠」(全長 131.7メートル ,排水量 15,140トン)
今から111年前にロシアの極東進出によって、我が国は存亡の危機に立たされた。
その時にロシアと死力を尽くして戦ったのが東郷平八郎司令長官の率いる我が国の連合艦隊で、ロシアのバルチック艦隊を対馬沖で遊撃し、圧倒的な勝利を収めた時の旗艦が「三笠」なのである。
操舵室から船首を見る。(巨大な主砲が2門)
勘ぐれば、第二次世界大戦でソ連が終戦後に我が国の北方領土に進出して、不法占拠をしているのはその時の恨みがあるからだと言われている。
ロシアのマスコミの論調も「これであの時の恨みを晴らせた」と書いている。嫌な国だなー。日本は韓国、中国、ロシアという嫌な国に囲まれている。出来るなら、どこか遠くに引っ越したい。
副砲は直径15.2センチで14門、その他に単装砲が36門も装備されている。
日露戦争の時に日本海海戦で日本が大勝利したことで、アジアの国々は白人によって植民地とされ虐げられて来たので「同じアジア人の日本が白人をやっつけた」と大喜びし、勇気づけられたというのは歴史的事実である。
だからこそ、マレーシアのマハティール元首相は「日本はいつまでも謝る必要はない」と言っていた。
船首には菊の紋章がある。
戦艦「三笠」は1961年に日本だけでなく、外国からも資金を提供されて記念艦として復元された。
今は英国の「ヴィクトリー号」、米国の「コンスティテューション」に並び「三笠」は世界の三大記念艦となっている。
三笠は日本の誇る戦艦なのである。
「西のネルソン、東の東郷」。
入場料は600円だが、シニア割引があり500円で入場できる。
現在の艦船を知らないが、この船は英国で建造されているせいか中は豪華な作りで驚いた。
昔の戦争は効率だけでなく、装備にも威厳があったことが分かる。
主砲は直径が30.5センチもある。これが4門も装備されている。
館内をくまなく散策していたら、「戦艦大和の実物大を体験」という表示があった。行ってみたら、バーチャル・リアリティで戦艦ヤマトに乗船できるお試し体験だった。
300円を支払い試してみたが、これは凄い。
ゴーグルをかけて、戦艦大和の中をバーチャルで見て廻れる。
最後に3門の巨砲が火を噴いたが、その迫力に驚いた。
私の知らない間にデジタル技術はとんでもなく進んでいた。
三笠の操舵室。
(おまけの話)
「戦艦三笠」の見学を終えて、京浜急行の横須賀中央駅に向かって歩いて行った。その時に、急に「どぶ板通り」のことを思い出した。
「どぶ板通り」というのは、戦後の混乱期に米軍が接収した日本海軍・横須賀基地のすぐ近くの通りのことである。
「どぶ板通り」のスタジャン店。
背中にはアメリカ人の好きそうな刺?がある。
戦後、進駐軍としてやって来た米軍は基地近くに出来た歓楽街で、思いっ切り楽しんだ。なにしろ1ドルが360円の時代であるから、GIであってもお大尽の遊びが出来た。
夜になれば、この場所ではGIに抱かれた日本女性が嬌声を上げて、彼らの懐を狙っていた時代だった。
アメリカ軍の放出品を真似した服が売られている。
お客は誰もいなかった。
それがドンドンと円高が進み、ドルで給料をもらっているGI達はお金の値打ちが無くなり、基地の外に出なくなった。
その頃からアメリカ風を売り物にした「どぶ板通り」は日本の若者の流行発信の場所となった。それも今では昔話になったようで、今回の私の視察では「閑古鳥」が鳴いていた。
時代はドンドン移って行くのを実感した。
総合格闘技のボブ・サップも宣伝に一役買っている。
横須賀は「海軍カレー」の町でもある。