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[2020.02.27]
■船でしか行けない秘境の一軒宿(2)
(2017年02月14日) 
 
旅の2日目の朝は屋根から落ちる雪の音で目が覚めた。 
家人はまだ寝ているので起こさないように手探りでタオルを探し、そっと部屋を出る。 
 
暗いので出口で躓く。女房が「お風呂に行くの?」と聞いて来た。 
気兼ねして静かに出たのに、無駄になった。 
 
大雪の早朝の「大牧温泉」。(船着場方面から) 


まだ外は暗いので、館内のテラス風呂に行く。 
総ヒノキで出来た風呂に浸かると、川の向こう側の木々が風呂場の灯りに照らされて、昨夜の雪で真っ白に見える。しばらく静かに温泉を楽しみ、明るくなったところで露天風呂に行く。 
 
時々、目の前を「雪崩」の残骸の雪の塊が流れて来る。(部屋の窓から撮影) 
 
 
こちらは長靴に履き替えて、石段を15メートルくらい登る。 
石段の凍結防止のために温泉の湯が流されていているから、石段はビチャビチャである。 
 
着替えの小屋に注意書きがあった。「 くま、たぬき、きつね等の野生動物が出ますので、夜間の外出はご遠慮ください」。 
 
「テラス風呂」は総ヒノキ作りで気持ち良い。 
 
 
早朝であるし、石段も登らなければならないし、野生動物も出るし、それになにしろ寒いのだから誰も来ない。しばらくお湯に浸かって体が暖まったら、外に出て冷気に当る。 
 
寒くなったら、またお湯に浸かる。これを繰り返す。 
露天風呂への出口には「夜間の1人での入浴は危険ですので、お止め下さい」と書いてあったなーと思い出す。 
 
昨夜の吹雪で木の枝も凍っている。 
 
 
朝食後、出発時間までにやることが無いので、また風呂に入る。 
やはり誰もいない。 
午前9時30分発の船に乗る。今日の便はこの1回だけだそうだ。 
 
宿の女中さん達が桟橋で手を振って、我々を見送ってくれる。 
最後でもう一度、「秘境の一軒宿に来た」という気分にさせられた。 
 
船着場には帰りの船が・・・。 
従業員は住み込みだが、中には小さなモーターボートで通って来る人もいた。 
 
 
帰りの船は昨日より寒い。昨夜の内に雪が大分降ったようで、両岸は来た時よりもっと真っ白になっている。後ろを振り返ると水面にたつ航跡が芸術的な模様となっている。 
 
20分くらい我慢して船の外で写真を撮っていたが、さすがに我慢の限界を超えて来たので暖かい船内に戻る。 
 
桟橋では寒い中を女中さん達が手を振って見送りをしてくれた。 
 
 
帰りはまた新幹線の出発時間の調整の為に、美術館巡りをする。 
版画家の棟方志功が数年間だけ富山県で疎開生活をしていたことが縁で、美術館や生活をしていた家が公開されている。温泉宿の記憶が強過ぎているので、あまり面白くない。 
 
富山駅の近くのホテルで富山県の郷土料理の昼飯を食べ、新幹線に乗って家に着いたのは午後5時30分だった。 
帰ってから案内書を見たら「ゆったり度3の旅」とあった。 
 
船の航跡で芸術的な波が出来る。 
 
 
(おまけの話) 
今から30年ほど前に、友人の女社長に誘われて富山県の有名な「おわら風の盆」を見に行った。女社長の友人が女流人形作家で、「おわら風の盆」が行われる八尾町に住んでいた。 
 
私は初対面だったが、彼女は農家を借りて、そこで1人で人形制作を行っていた。農家は家が広いので、我々は彼女の家に泊めてもらい歩いて盆踊りを見に行った。 
 
途中に2ヵ所の橋が架かっている。 
 
 
人形師の家には几帳が2基あった。私は「几帳」というものを、その時に初めて知った。着物を掛ける衣桁というのがあるが、それに似てはいるが全く違うものである。 
 
これは平安時代の公家の間仕切り、英語でパーティションである。 
どうしても欲しくなった私は「譲って!」とお願いした。 
 
船は曲がりくねった水路を進む。美しい風景である。 
 
 
彼女は「お金に困ったら、1基なら譲ります」と言った。 
それからしばらくして彼女から連絡があった。「几帳を譲ります」・・・と。 
 
そして交渉の結果、15万円で几帳を購入したのである。あの頃の私は羽振りが良かった。今でもそれは我が家の玄関に飾ってある。 
「几帳面」という言葉は、この几帳から来ている。 
 
棟方志功の生活していた家への通路は、地元の小学生がモザイクのタイルで飾り付け。最近はこのような水路に落ちて亡くなる高齢者が増えている。私も気を付けねば・・・。 
 
 
 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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