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[2020.07.17]
■ベトナム(10)・・・田舎の生活(3)
(2013年7月17日) 
 
2日目の朝はよく眠れず、午前6時に起きた。 
竹のベッドでは、寝ていられなかったからである。 
 
食事の後に、この家のお父さんの管理している塩田を見に行った。 
この時期は雨季なので、塩作りはお休みだそうだ。 
今は塩田の中は真水のようで、11月から塩作りが始まるようだ。 
 
塩田とコーさんのお父さん。 


塩田見学から戻ると、家でみんなが騒然としている。 
何事かと思ったら、私に警察から呼び出しが掛っていると言う。 
良く事情が分からないのだが、外国人がこの村に入る時は警察に届けを出す義務があるそうだ。 
 
塩田を横切り近道をする住民たち。 
 
 
「その届けをしていない外国人がいる」と、村の誰かが警察に密告したらしい。仕方ないので、生徒のバイクに乗って4人で警察に向かう。 
 
こういう時には、言葉が分からないのは困る。 
生徒の日本語力では、私に詳しい事情説明が出来ない。 
 
遥か向こうまで、コーさんの塩田は続く。 
(塩田作業は11月から5月まで) 
 
 
警察に着くと署員が出て来て、「パスポートを出せ」と言っているらしい。ベトナムに来てからは、パスポートは会社の金庫に預かってもらっている。 
 
だからいつもはパスポートのコピーを持ち歩いている。 
そこで私はパスポートのコピーを渡した。 
署員は私になにかを聞くが、ベトナム語では分からない。 
 
なにを運んでいるのか? 
 
 
その内に署長らしき男が出て来た。 
署長も同じように私になにか聞くが、全く分からない。 
すると私服の男がやって来て、署長の書類を後ろから覗き込んでいる。 
署長もそれを許しているところを見ると、秘密警察なのだろうか? 
 
署長も私に色々と聞きたいらしいが、生徒の通訳では埒があかない。 
仕方なく署長は私にではなく、同行したこの村の住民の生徒に直に事情を聞くことにしたようだ。 
 
村にはジャックフルーツの木がある。 
 
 
署長はなにやら調書らしき紙に色々と書き込んでいるが、ベトナム語なので分からない。 
 
生徒の1人が私達が警察署に行く前に、ホーチミン市にいるKAIZEN日本語学校のミン・ドゥック副校長に事の次第を電話したらしく、彼女から私の携帯電話に電話が入った。 
 
沼地には作業用の牛が草を食べている。 
 
 
彼女は私に「心配することは無い。私から署長に説明するので、電話を代ってくれ」と言う。 
彼女は署長と長々と電話で話した結果、どうやら事情が分かったらしく、調書は地元の生徒の署名で済ますことになったようだ。 
 
そして、本来は支払うべき罰金も無く、最後は握手をして警察を後にしたのである。 
 
田舎の食堂。バイクは高いので、田舎では自転車も多い。 
 
 
(おまけの話) 
この1件はホーチミン市に戻った後で、色々と事情が分かって来た。 
この村から中国が一方的に主張している領海の国境線までは、約10キロほどらしい。 
 
中国とベトナムは領海問題で大いに揉めており、過去には交戦もあったらしい。そこでベトナム政府としては中国人が潜り込まないように、警備を厳重にし、この村に入る外国人には登録申請をさせていると分かった。 
 
ミン・ドゥック副校長が田舎に行く私の為に、用意してくれた薬。 
 「下腹の時」とは「下痢の時」のことらしい。 
 
 
そんな村に来ていたとは、私は全く知らなかったのである。  
この村の住民は外国人はおろか、日本人など見たこともない。私が初めての外国人らしかった。 
 
そんな村で私は陽気に振る舞い、村人に「シンチャオ」と挨拶をしまくっていたのである。これじゃ目立つわけだ。 
 
市場の近くは朝から人通りが多い。 
 
 
そんな私を陰から見ていた村人が警察に密告したのだろうが、自由社会から来た私はベトナムが社会主義の国であることを忘れていたのである。 
 
ミン・ドゥック副校長は私に電話で、「調書にはすぐにサインをしないように。その調書を生徒に電話口で読ませて、私がOKと言ったらサインして下さい」と言っていた。 
こんな田舎の村で、私は国際紛争に巻き込まれてしまったのである。 
 
この村はココナツも特産である。 
 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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