■秋の夜長はクラシックで(4)~セルジュ・チェリビダッケの名演を聴く。(試聴付)
セルジュ・チェリビダッケ(1912~96)という指揮者は,
わたしが特に学生時代,FMでエアチェック(今や死語?)をして熱心にその演奏を聴いた指揮者です。(この歌舞伎役者のような顔,そして鋭い野獣のような眼光…)。
と言うのも,彼は録音を生涯嫌い,レコードという媒体で繰り返し聴くことができなかったので,FMを録音して聴いていました。(その理由は後半で説明)。チェリビダッケの生演奏を聴く機会がありました。
忘れもしない,1986年10月13日,神奈川県民ホールです。
ミュンヘン・フィルハーモニーとの来日公演でした。
曲目は,
シューマン:交響曲第4番
ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
土地柄か,外国人も多く見えていたのですが,シューマンの(確か)2楽章あたりで,大きな地震があり,
聴衆が(特に地震に慣れていない外国人が)ざわつきました。それに全く同ぜずチェリビダッケは指揮を悠々と続けました。その姿をみていたら,聴衆から地震への動揺が急速に失せていきました。彼の凄い存在感と有無を言わさぬ説得力を感じる一幕でした。
その演奏はと言うとFMの電波では全く収まりきれない,彼の壮大な世界が,音響的には万全といえない県民ホールで展開されました。
特に「展覧会の絵」は徐々に曲を盛り上げ,
巨大とも言えるクライマックスに導く彼の演奏は素晴らしく,わたしも含め,聴衆の多くは演奏後,
金縛りにあったように動けない人,
15分以上「ブラボー」を絶叫する人,
号泣する人など,
様々な反応でした。チェリビダッケもそれに答えてくれて,たった一人で,(しかも彼はすでにガウンに着替えていた),ステージに出てきてくれました。彼がなぜ録音嫌いなのかを表す言葉として,
「音楽は【無】であって言葉で語ることはできない。ただ【体験】のみだ」,
「始まりの中に終わりがある」
という彼自身の言葉があります。つまり音楽は演奏会場で始まり,終わるものなので,
演奏家として,あるいは聴衆として体験することで,初めて成り立っているということなのでしょう。録音など追体験には意味がない,という訳です。
とは言っても,彼のコンサートに皆が行けるわけではないので,
特に日本とアメリカで,多くの海賊盤が出回るようになります。音源は言うまでもなくFM放送のエアチェックです。
彼の死後,遺族たちが,この氾濫する音質の悪い海賊盤に歯止めをかけるため,レコード会社と契約し,最高の音質で(と銘打って),初めて正規盤が登場しました。全集で購入すると大変な金額でしたので,お小遣いを貯めながらチマチマと好きな曲を中心に買っていたのですが,
先日,アマゾンを見ていて,大変お得になった全集を発見しました!
何と,11枚組で,2253円です。
(きょうはさらに円高ドル安で100円くらい安い…。こちらから確認できます)。 真面目に蒐集してきたファンにはねたましい限りですが,(CD1枚分の価格!),
全集で分けられていた,
チャイコフスキーの4番,5番,6番,
また「シェエラザード」もまとめて収録されています。
昨日届きました。紙ジャケットが味気ないですが,
演奏は紛れもなく素晴らしいものです。
あの日,聴いた「展覧会の絵」もしっかり収録されています。
彼の演奏は,個人的には,どの演奏も決してヘッドフォンで聴いてはいけないと思います。
彼は,そのホールの響きを計算して緻密な演奏をするので,総じて演奏時間が長くなります。
ファットなホールでは長く,デッドなホールでは,短くなります。
ステレオのヴォリュームを上げて聴かないと,
ただの「ユルイ」音楽に聴こえてしまいます。
ぜひ,大き目の音で,コンサートホールにいるような気持ちでお聴きください。
昨晩は「展覧会の絵」など,夜更かしをして聴きましたが,
鳥肌物の名演奏です。
1980年来日公演をYOUTUBEで見ることができます。必見,必聴です!
「展覧会の絵」のクライマックス部分です。特に3:58以降から注目です。
当院の説明はこちらから。
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