■思い出もゴミになる
伊達から戻ってからズーと働いていた。 帰った翌日から異常な暑さの中で、3日間も荒れ果てた庭の雑草取りと枝落としをしていた。
そんな私を80歳を過ぎた近所の夫婦が見て、『精が出ますねー。もう私達には庭の手入れは無理なんですよ。2階の物を1階に降ろすことも無理になって来ました』と言った。
小学校3~4年生の頃の私の写真
そこで、その言葉をキッカケにして、翌日から家の大掃除を始めた。先ずは押し入れの片付けから始める。
物入れが多い家なので、片付け出したらきりが無い。
女房は不要となった和服の整理をした。
和ダンスは粗大ゴミとなり、市役所に1500円で引き取ってもらった。
NY世界博で働いていた私の写真(白服で左側の男)
数ある和服はインターネットで調べて、業者に引き取りに来てもらった。その結果に驚いた。
買った時はあんなに高かったのに、殆どは引き取ってもらえず、業者が持ち帰ったのは帯だけで、値段はたったの800円だった。
私は今は必要なくなった背広、ネクタイ、ワイシャツなどを山ほど整理した。これからも必要なのは喪服だけだろうと思い、それは残した。
本などはあまりに多いので、古本屋に売りに行った。
大して値打ちの無い絵画は、額も壊してゴミに出した。
写真も沢山あり過ぎるので、整理した。
そんな中に思い出深い写真もあり、懐かしく見入るので、なかなか整理が進まない。
駐車場のゴミの山
休日も関係無く、10日間も休みなく片付け続けた。
そして山ほどのゴミが出た。
大掃除をして分かった。
「思い出も、捨てればただのゴミになる」
(おまけの話)
大掃除をしていると、時々チャイムが鳴る。
どうせセールスマンだろうと思い、嫌々出てみると北海道からだった。
宅急便の運転手から渡されたのは、発泡スチロールの箱に入ったホタテ貝であった。
北海道から届いたホタテ貝
私は忘れていたが、これは帰る前に参加した洞爺湖の万世閣のゴルフコンペの参加賞であった。
開けてみたら、なんとホタテ貝が43枚も入っていた。
夕食に女房が調理して、刺身とホタテ貝のフライが出て来た。美味しくて、懐かしくて、また伊達に戻りたくなった。
でも、43枚のホタテ貝をむき身にしたら、86枚の貝殻のゴミが出た。
ホタテのフライ
発泡スチロールの箱は壊して青色のゴミ袋に入れ、貝殻は黄色の袋に入れたのはよいが、青袋は木曜日、黄色袋は火曜日まで出せないから、駐車場はまたゴミの山となってしまった。