■ぶらり全駅下車の旅(お茶の水~神田)
御茶ノ水駅の西側の陸橋から見る神田川と駅の対比が美しい。 昔は左手の土手に大勢の乞食がバラックを建てて住んでいた。今風にいうとホームレスである。
それがいつの頃からか、乞食は追い出されて、そこに花などを植えて景観を大事にするようになった。
日本経済の上昇期に、彼らは追い出されたのかもしれない。
お茶の水駅と神田川
当時は神田川は汚れていて、悪臭が漂っていた。
川には「おわい船」が汚物を東京湾の沖合に捨てに行く為に、頻繁に往来していた。
あの頃を思うと、今は不況とは言っても、こんな良い時代となった。
・・・などと感傷に耽りながら、線路の北側を行く。
駅のすぐ東側で地下鉄の東京メトロと中央線が交差する。
メトロと交差する
その少し先で、総武線は左に離れて行き、秋葉原駅に向う。一番北側を走っていた中央線の上りは、東京駅に向う為にこの辺りでまた総武線の下をくぐる。
御茶ノ水駅でなんとかすれば、中央線が2回も総武線の下をくぐる必要もないのじゃないかと考えてしまう。
なぜそうしているのかは、私は専門家じゃないから分からない。
昌平橋辺りで上を行く総武線
そのまま進むと秋葉原電気街に行ってしまうので、昌平橋を渡り中央線に近付く。昌平橋の先は万世橋で、橋の袂の「肉の万世」はここが創業の地である。
線路の北側は狭い路地で、人通りもあまりない。
真っすぐに行く道は無く、すぐに突き当りになる。
仕方ないので、ジグザグに進む。
そうしたら、神田駅西口のガードのところに出た。
神田駅ガード
(おまけの話)
神田駅から数分の場所のH鉄鋼という会社があった。
この会社は私のオヤジの代からの仕入れ先で、仕事に使う鉄板を買っていた。
その会社で私より10歳以上も年上の専務のHさんは、小柄で真面目でクリスチャンだった。
時々、私の会社にやって来ては雑談をして帰って行った。
きっと債権保全を考えて、私の会社の様子を見に来ていたのだろうと思う。
また交差する中央線
Hさんはその頃からボランティア活動をやっていて、その話をよく聞かされた。
そのボランティアの1つが、『電話確認』であった。
それは1人住まいの老人に、1週間に1度は必ず電話をすることだった。
そして安否を確認し、色々な相談にのっていた。
いくら電話をしても出ないので、家に行ってみたら亡くなっていたということがあったそうだ。
今回の旅でH鉄鋼の前を通ったら、まだ会社はあった。
果たしてH専務はまだこちらの世界にいるのだろうか?