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[2011.03.07]
■潮時かもしれない
何事にも「潮時」というものがある。 
今までも潮時と感じて、色々なものを止めて来た。 
思い出してみると、あまり良い思い出ではないことが多い。始める時は、いつも嬉しくて張り切っていたのになー。 
 
今回の引っ越しの潮時を前向きに考えれば、「勝どきで新しい生活を始める」ということになるが、一方、「長く住んだ小金井の生活を止める」という後ろ向きのことにもなる。 
 
庭で収穫した最後の柚子 


止めっぱなしになる時は人生が終る時で、それにも潮時というものがあるのかもしれないが、今はまだ分からない。 
 
隣のSさんの義理の息子がやって来て言った。 
『お宅の庭の蕗の薹を採らせて下さい』。 
びっくりするような申し出だが、引越すのだからとOKを出した。 
 
庭で収穫した最後のフキノトウ 
 
この蕗は40年以上も前に、Sさんのお婆さんが自分の庭に植えたものである。それが長い年月の間に、お隣との境の塀の下を通り抜けて、全部我が家に来てしまったのである。 
 
Sさんの義理の息子はザルいっぱいの蕗の薹を採って戻って行った。 
なんか変だと思うが、最後は「立つ鳥、あとを濁さず」で笑顔で見送った。これはSさんの家の物なのだろうか? 
 
工事の騒音でスズメも来なくなった 
 
家の南側を走っている中央線が高架になって、騒音が酷くなった。 
そうしたら、家の前の空き地が売り出されて、そこに建売住宅が5軒も建設中となった。それで騒音が遮断された。 
 
1ヶ月もすると、幸せいっぱいの5家族が越して来るのだろう。我々が去ると、その後にまた建売住宅が3軒建てられる予定である。 
 
するとまた、幸せいっぱいの3家族が越して来る筈だ。 
そんな8軒分の幸せのお裾分けを頂いて、私達は潮時となった小金井を去る。 
 
8年前に会社を売却して引退した時期と、小金井から引越すと決めた時期が今になって思うと、私にとっては人生の潮時だったような気がする。 
 
建売住宅建設中 
 
(おまけの話) 
我が家の近所に住んでいる夫婦に、Oさんという人ががいる。そのご夫婦とは親しくしているが、私達より10歳は年長である。 
 
私達が引越すことを話したら、もの凄く寂しがっている。 
夫婦で庭いじりが好きなので、我が家で使っていた庭道具をプレゼントした。 
 
ハワイの和尚の絵説教 
 
そうしたら、『小さな植木も欲しい』と言う。 
『どうぞ好きな木を持って行って下さい』と言ったのだが、彼等はもう自分では植木を抜いたり植えたり出来ない。 
 
結局は私が家から抜いて運び、先方のお宅の庭に植えてあげた。レンガも欲しいというので、それも運んだ。 
シャベルもハサミも肥料も持って行った。メダカも行った。 
 
我が家の庭が少しだけ、Oさんの庭に移って行ったのである。 
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▼コメント(2)
名前:H.YAMA  2011.03.07 09:47:28
橋本君は、ご自分の潮時を決めるのも上手であるが、他人の潮時にも気配りを持っている。私の社長退陣への筋道を考えてくれたのも橋本君である。貸おむつ業という生業は、ベビーブームに急成長をしたが、少子化の影響から左肩が下がろうとしたところへ、お年寄りの急増による老人用おむつの需要が増えてきた。工場は、増設に次ぐ増設で、売上  
は倍々の状態が毎年続いていた。当然、銀行借入も膨らみ自宅の家や土地を担保に入れて綱渡り状態であった。  
そんな時期に妻のがん闘病が始まって、午前中に会社へ出て、午後から病院へ妻の見舞いに出掛ける事が続いた。  
5年間の闘病の結果、自宅ホスピスを選択しなければならないこととなり、いよいよ24時間看護状態を迎えた。  
橋本君は、私の社長としての限界を察知して、会社を次の世代へと受け渡すことをアドバイスしてくれた。  
今が、会社を手放す「潮時」であるとの助言により、オーナーへの大政奉還を成し遂げた。  
その後、直ぐに業界の競争の激化に不景気や施設、病院への行政方針の混乱が相次ぎ、会社のかじ取りが難しくなった。人生の潮時と会社の引き際を教えてくれた橋本君には何時も感謝している。 
名前:shinji  2011.03.07 04:52:17
しみじみ、を感じさせます。 生活の中の、人生の中の、季節の移り変わりが、ゆっくりと語られて、まるで小津安二郎の映画をっじっくりと見ているような、気がします。 全ては、移り変わっていく、そして人はその中を、泣いたり笑ったりしながら、生きていくんだということを実感させられます。 

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プロフィール
心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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