■淡路夢舞台に夢はあるか?
滞在中はHさんの案内で淡路島の南の端から北の端までホテルや旅館に泊まりながら移動した。 一番北の端には明石大橋が本州との間を繋いでいる。
その距離、わずかに4キロである。すぐそこに神戸が見える。
そこから南に数キロ下がったところに花博会場がある。そういえば、いつかそんな博覧会があったような気もする。その博覧会々場にウエスティン・ホテルがある。最後の晩にそのホテルに泊まり、朝起きてみたら異様な光景を目にした。昨夜は暗いので見えなかったが、ホテルに隣接して『淡路夢舞台』という施設がある。
夢舞台マップ
花をテーマにした建築家の安藤忠雄の作品であるコンクリートの塊である。
朝食を食べにレストランに行くと、なんだか雰囲気が怪しい。支配人に聞いてみた。
『日本人が居ないようだが、彼等はどこの国の人?』、支配人『台湾からの団体です。最近は増えています。』との答えだ。どうりで部屋の水道の蛇口に『上吐水』という変な漢字が書いてあったはずだ。日本のホテルで日本人が居ないと肩身が狭いですよー。
朝食の後、1人で夢舞台を散策した。
コンクリートの打ちっ放しの構造物がいくつかある。
斜面を利用した場所に段々を作り、コンクリートの枠を作って、そこに色々な花を植えている。道は迷路のようだ。
あまり良い趣味ではないと思う。自然と調和していない。ここは県立の施設で、見学は無料だと植木の手入れをしていたおばちゃんが教えてくれた。一方、その下で、海に面した花博会場跡は有料で400円だそうだ。だだっ広い会場には誰も来ていない。
なんだか壮大な無駄を見たような気がする。『淡路夢舞台』なんて洒落た名前を付けているが、いつの世も名前が実を表している例は少ないのだ。東京では感じないが、地方に行くと無駄な公共事業の跡をアチコチで見掛ける。ここには夢は無かった。
(おまけの話)
淡路島の名物は何か?
わかめ、桜鯛、あなご、たこ、玉葱、瓦、棚田。
まだまだあるらしい。
瓦は阪神淡路大震災により、屋根の上の重量物は危険ということで、急速に売り上げを落としている。
淡路島はみんなが思っているほど暖かくない。
ペギー葉山が歌った『南国土佐を後にして・・・』という歌詞が『四国は暖かい』という誤解を与えているのではないか?
桜の花も東京より遅く咲く。冬の寒さは尋常ではないそうだ。淡路に生まれ育ったHさんは、そんな寒さを避けて、冬は沖縄に住んでいる。私も東京より寒く感じた。
ここでの交通手段は自家用車とバスだ。戦後しばらくは電車もあった。淡路鉄道という会社があった。今は線路の跡は道路となり、その名残で今でも『電車道』と呼ばれている。(おしまい)