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[2007.04.16]
■正しい日本の村祭りを見た(4)
淡路訪問の第2の目的はお祭りを見ることである。 
どこの田舎でも同じだが、神社とお祭りは縁が切れない。 
『五穀豊穣』と『家内安全』を願う気持ちは変わらない。 
 



Hさんの村のお祭りは寂しいらしい。だんじりも2台しか出ないし、露店も1軒くらいらしい。そこで、隣村の賀集八幡神社の大祭を見に行く。県道から左へ入ると、だらだらと3~400メートルの上り坂が続く。この坂の突き当りが神社である。 
 
神社への参道の両側は土手になっていて今が桜の満開であった。神社に近い土手の上にビニールシートを敷いて、その上に座布団を敷いて、持参したお弁当を食べながらだんじりを見る。 
 
淡路のだんじりは台車の上に櫓を組み、その上に座布団を重ねたような飾りの付いた珍しい形のだんじりである。 
部落ごとにだんじりを持っていて、財政が豊かな部落は立派なだんじりで、曳き手も若者であるが、元気のない部落は曳き手に年寄が目立つ。これはうら悲しい。 
 
だんじりは参道を行きつ戻りつしながら神社へ向かう。 
曳き手はだんじり歌を歌いながら酒の勢いで進む。だんじりは全部で13台も出ている。神社に到着すると、曳き手は石段に並び、人形浄瑠璃の一話を大声で語り歌う。 
 
こんな祭りは初めて見た。伊達の武者祭りが凄いと思っていたら、その上がいた。どちらも全国に知られていないところが同じだ。だんじりと人形浄瑠璃の関係はよく分らない。 
 
土手の上には露店が多く出ている。お祭りを見にきている人達は着飾っている。若者がこんなにいるの?というほどいる。 
赤ん坊、子供もこんなに沢山見たのは久しぶりだ。 
ここでは少子高齢化なんて関係ないようだ。 
 
淡路で日本の村祭りの原点に触れた。久しぶりに正しい日本の田舎の原風景に触れて感動の祭りであった。 
 
 
(おまけの話) 
だんじりは岸和田が有名である。 
だんじりは漢字で『壇尻』と書くことを淡路で知った。 
漢字で見ると何故か可笑しい。なぜ壇と尻なのか? 
淡路で疑問に思った私は地元民に聞いたが、誰も答えられない。 
 
ゴルフ場で会ったHさんの同級生が元学校の先生と聞いたので、聞いて欲しいと頼んだら、『彼は英語の先生だったので分らない』と言われた。なぜ、誰もこの漢字に疑問を持たないのだろう?好奇心を失うと呆けるという。私は大丈夫だ。 
”だんじり”の語源由来
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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