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[2007.09.27]
■YOSAKOIソーランで燃える夏の北海道
北海道ではお祭りというとYOSAKOIそーらんが必ず登場する。老いも若きも恥ずかしげもなくYOSAKOIソーランを踊る。みんなYOSAKOIソーランが大好きだ。YOSAKOIソーランの無いお祭りは考えられないという状況がある。 
 
その仕掛けを作ったのが北海道大学の学生だという。15年ほど前のことである。 
YOSAKOIソーラン  
YOSAKOIソーランはグループで踊るのが特徴だ。 
だからグループ毎に衣装、振り付け、音楽が違う。こだわりを持って、専門家に作曲や振付を依頼するグループまで出るようになる。踊りは日本のものとは思えないようなリズムカルで激しいものである。 
 
でも、曲のどこかにソーランが入らなければならないそうだ。 
衣装もグループごとに拘って派手である。数分の踊りの中で一瞬の内に黒の衣装から真っ赤な衣装に早変わりしたりする演出は見ていて楽しい。 
 



踊り手は10歳くらいから40歳くらいまでのようである。 
それ以上でも、それ以下でもその激しい踊りに付いて行けないからだろう。 
太り気味の東京のオジサンやオバサンはエアロビクスなんかやるよりは、YOSAKOIソーランをやる方が効果があると思う。 
 
1曲踊るごとにリーダーの合図で観客に『ありがとう御座いました』と礼をする。 
見てくれてありがとうという意味であろう。これは他の踊りには見られない行動である。 
見ている方としては『良かったよー』と言いたくなる。 
 
 
YOSAKOIソーランを見ると、こちらまで元気をもらえる。 
北海道に来る前は、こちらでこんなことが盛んに行われているとは知らなかった。 
日本人ってそんなに目立ちたがり屋だったかなー。 
 
(おまけの話) 
札幌YOSAKOIソーランには意外なルーツがあった。伊達市の巨漢のHさんがそのルーツに付いて下記のような興味深いメールを送信してくれた。 
 
今は一世を風靡している札幌のYOSAKOIソーラン祭りですがその開催の2年前(1990年)、当時、伊達では青年会議所理事長の笹木学さんが中心になって、武者祭りに新風を!ということで「踊りウェーブ」を始めました。 
先導車に生バンドを乗せ、鳴子を持って踊るという現在のYOSAKOIソーラン祭りとほとんど同様な形態です。 
 
1992年にYOSAKOIが始まった時には、向こうが10チームだったのに対し、伊達では山車や太鼓のチームも含めて22チーム、規模も段違いでした。 
3年目からは我々のチームもYOSAKOIに参加したのですが、10tトレーラー2台に生バンドと勝田組の大太鼓を積んで(今は禁止です)若い踊り子が乱舞し、男性陣は甲冑姿でJA伊達の野菜を配るなど、札幌市民の度肝を抜くパフォーマンスを展開、いい時代でした。 
 
現在、R理事長が踊っているのもYOSAKOIの影響ではなく伊達発信の踊りウェーブを脈々と受け継いでいるのです。ところがそれから十数年、かたや300チーム以上の参加者に200万人にも及ぶ見物客が集まる北海道を代表する大きな祭りに発展、かたや・・・やっぱり地域間格差というのはこういうところにも出るんですね。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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