■暮の正しい過ごし方
いつの頃から、私は年をとると感じるのは誕生日ではなく、正月の方になった。昔の日本人が使っていた、いわゆる「数え年」というやつである。 その方がシックリくるのは私が年をとったのか、或いは変人のどちらかだろう。
暮には年越しソバを食べる。
今年は28日に麻布十番の更科本店でと、31日に日本橋の裏道で食べた。
年越しソバを食べると、改まって新年を迎える気持ちになれるから不思議だ。
和光のお正月ウィンドウ
年越しソバを食べるのは、『細く長く生きる』ためと聞いたことがあるが、調べてみたら違っていた。
そのいわれは『蕎麦は他の麺類よりも切れやすいことから「今年一年の災厄を断ち切る」という意味で、大晦日の晩の年越し前に食べる蕎麦である』とあった。
ミキモトのお正月は稲穂
この年になっても、まだまだ知らないことが沢山あり、反省しきりである。
若い頃の私は、正月は家にいなかった。
いつも志賀高原や、八方尾根辺りのスキー場で正月を迎えていた。
その時に食べた凍った『野沢漬けほど美味しいものはない』、と思ったのが思い出される。
日本橋のキリン
結婚してからは12月の仕事を終えてから、車で京都に行くのが常だった。
空いた旅館に泊まり、京都をブラブラし、錦市場で正月用品を買い込んで大晦日に戻るということを続けていた。
由緒正しい門松
子供が大きくなると京都は少し億劫になり、名古屋、伊勢に変った。
名古屋で「ひつまぶし」を食べて、伊勢神宮にお参りをして、松坂ですき焼きを食べて2泊3日で戻るようになった。
我が家の鏡餅
子供が独立してからは、どこにも行かず家で過ごすことが増えた。
おせち料理も自家製でなく、デパートや料理屋から届くようになった。
私はおせち料理が好きではないので、これはどちらでも構わない。
2013年は久し振りに仏像彫刻を再開したい
ここへ引っ越して来て2回目のお正月を迎えた。
同じ階に住むXさんの実家が築地で魚介類を扱っているらしく、昨年に引き続き、今年も数の子のおすそ分けがあった。
結構、ここも庶民的なものが残っていて、それが嬉しい。
手始めに十二神将を彫るつもりだ
(おまけの話)
大晦日に銀座までバスで出て、そこから日本橋までブラブラと歩いた。
銀座4丁目辺りはデパートに来る人達で、大変な人出でごった返している。
2丁目、1丁目と進んで行くと、あまり人が歩いていない。
京橋を過ぎ、東京駅を左手に見ながら進む。
その先に人が大勢出ているのが見える。
そこが高島屋である。
日本橋川の中のポスター
高島屋を過ぎて、日本橋を渡る。
川の中の高速道路の支柱に『いつの世も道の起点は日本橋』と書いたポスターが貼ってある。
そこを過ぎると左手に三越デパートがある。
その前を右折すると飲食街となるが、多くの店は閉店している。
その中の1軒の蕎麦屋に入った。
暮は例年のように、家でふぐを食べる
大変な混みようで、2階席に案内される。
迷わず『天ぷらそば、3つ』と言う。
すぐに出て来た天ぷらそばは味はまあまあだが、1人前1500円は高いのではないか?
不況が長引き、以前はなんとも思わなかったのに、こんなことでも値段が気になるようになってしまった。バブルの頃は、天ぷらそばが2500円だったのを思い出した。
築地のふぐ専門店でセットを買ったら、700円のおまけ