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[2008.02.15]
■寒い朝に小さな災害
3日は東京に大雪が降ったので、翌日は冷え込んで寒い朝となった。私が居間の隣の部屋でパソコンのチェックをしていたら、急に電気が切れた。 
パソコンの画面も暗くなったし、暖房も切れた。 
女房が台所から大声で私を呼ぶ。『ブレーカーが落ちたらしいので見てー!』。 
 
引退してからはなにも頼りにされなくなった私だが、こんな時だけ頼りにされた。 
ところがブレーカーをチェックに行く時に女房の居る台所を見たら電気が点いている。変だなーと思いながら、風呂場の脱衣所の上にあるブレーカーを確認する。 


今朝は寒かったので全ての暖房を入れて、テレビも点けて、おまけに電子レンジを使っていた。これじゃーブレーカーも落ちる筈だ。 
ところが、いつもは落ちているブレーカーが落ちていない。 
電気が通っている部屋と、そうでない部屋があることが分かった。もうこうなると私程度の技術では分らない。 
 
仕方なく東京電力に電話をすることにした。 
ところが、我が家はNTTと契約をしていない。 
JCOMを利用して、CATVで電話も契約しているのでNTTの電話帳が無い。 
どこかに電話番号がないかと思い、ブレーカーや外の電力メーターのところも見たがなにも連絡先は書いて無い。 
 
こういう時は本当に困る。そこで女房が思い出した。 
「多摩便利帳」というのがある筈だ。 
やっと見付けた多摩便利帳で東京電力に電話をしたら、0120の無料電話番号で、これは携帯電話からは繋がらない。まさに泣きっ面に蜂状態である。 
どうすれば良いのか考えた。東京電力の領収証も捨ててしまって家には無い。 
 
やっと思い付いたのが、留守をお願いしているMさん宅だ。彼女は年なので朝は早い筈である。そこでMさんに電話して、そこから東京電力に電話してもらい、東京電力から私の携帯電話に連絡をもらうという方法である。 
 
やっと連絡が取れて、1時間くらいしてやって来た東京電力の係員は色々と検査をしたが、『これは電信柱のブレーカーに問題がある。私では出来ないので、担当者を寄越す』と言って帰ってしまった。暫くしてやって来た工事班が電信柱の上の方にクレーンで登って直していた。 
やっと直って、電気のありがたさをシミジミと感じた。 
 
 
 
 
(おまけの話) 
私の子供の頃は停電なんて当たり前であった。 
そんな時は表に出て、停電が我が家だけか、或いは地域全体かを確認するのが常であった。我が家だけの場合はヒューズが飛んでいるので、新しいヒューズに取り換える。 
それは父親の役目であった。 
 
地域全体の時は特に東京電力に電話をするということもなく静かに待っていた。いつものことなので、『その内に点くよ』とあまり気にしていなかった。 
ロウソクの明かりで家族で電気が来るのを待つという行事も、いま思うと大事な家族団欒のひと時だったような気がする。 
 
だが、大人になってから停電というようなことが無くなると、たかが停電でもビックリする。 
陽気の良い昼間に電気が切れても大した問題にならない。 
ところが、雪の降った翌朝の寒い時間だと、これが大問題となる。食事もしていないので寒くて腹は減っているし、電話も通じないし、テレビも見られない。 
 
携帯電話だけが頼りだ。これが関東地方に起きると言われている本当の直下型大地震で、電気もガスも水も止まったら私は多分、うろたえるだろう。 
その時の為に、ガスボンベ、飲料水、電池、食糧を買い置きしておこう。でも、中国産の冷凍餃子は用意しない方がいいかもしれない。 
そんな時は伊達市の友人達だけが頼りである。 
よろしくねー。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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