■謎が深まる消えた町を行く(2)
昔の記憶は割と当てにならない。 Hさんは役場の仕事でこの場所に何回も来ていたのに、建物が撤去されて、その場所が自然に還ると全く分からなくなっている。
この工場には多くの労働者が働いていて、最盛期には2500人もいて、映画館や小学校、中学校、病院もあった工場城下町だったそうだ。
今はそれ等は全く面影も無く、自然の森に還っている。
Kさんも子どもの頃に住んでいたのに分からない。
この工場で生産された硫黄は索道で幌別まで運ばれていた。
労働者は1日2便のバスで久保内に出て、いまは既にない胆振線で伊達に出て来ていたそうで、その頃は今は寂しい伊達紋別駅前は大変に繁盛していたという話を聞いた。
昭和47年の工場大火災と翌年の廃業の関係に疑問を持った私は、帰り道に当時のことを知っている人を訪ねた。
その人(Kさん)は元郵便配達人で黄渓の火事のことはよく覚えていたが、因果関係は分からなかった。
次に会った壮瞥消防署のTさんは子供の頃のことだが、早朝の大火災はよく覚えていたが、やはり因果関係は分からなかった。
この話は私としては非常に面白いと思った。
2年前に実際にここで起こった死体放置事件を絡ませて、歴史を遡る小説に仕立て上げれば面白いに違いない。
次は小説家に挑戦しようかなー。
火災と廃業の関係に付いて『なんでも知ってるRさん』に問い合わせた。さすがにRさんも分からず、調べて連絡をしてくれることになった。
その時はまた黄渓事件をお知らせしようと思う。
(おまけの話)
黄渓からの帰り道にHさんが、『農家のカフェでお茶でも飲んで行きませんか?』と言う。私もKさんも暇人であるから、すぐに賛成する。
店の名前は『ほのぼの村・農家&カフェ』と書いてある。
ドアを開けたら驚いた。
予てからの知り合いの飛び魚会のCさんが居た。
お互いに『えー、どうしたのー?』と聞く。
彼女は今日はここに保険の仕事で来ている。この店は金曜・土曜・日曜しか開いていないそうで、従って今日は定休日であった。
それでも私達の為にオーナーのOさんはコーヒーを入れてくれて、クッキーも出してくれた。
脱サラした夫婦が開いた店だそうで、なんとも居心地が良い。先日は『人生の楽園』というTV番組でも取り上げられている夫婦である。
インテリアもお洒落で、店の中には多くの骨董品がさりげなく置いてある。
その店はオルフレ峠に向かう道の左側にある。
是非ともお立ち寄り下さい。
こうやって、また私の知り合いが増えて行く。