■六本木に溶け込む伊達の人達
伊達から若手経営者が勉強の為に団体で上京した。 私はK社長からそのことを聞き、『良かったら、来ませんか?』と誘われた。そうかといって、現役を卒業した私は勉強はもう結構である。
そこで、無理を言って懇親会にだけ参加させてもらった。
懇親会は六本木交差点からすぐの高級鳥料理居酒屋『鳥良』で、午後6時から開催されるという。
私は女房を誘って一緒に行った。
会場には既に30名以上の伊達市の若手経済人が集まっている。私は伊達の若手にはあまり知り合いがいない。
それでも、10人くらいの知り合いがいた。
中には『若手って何歳までなの?』と聞きたくなるような人もいたが、そこは精神年齢で若手なのだろうと思う。
主催者は伊達商工会議所のようで、引率者代表がK社長である。
伊達市に縁の深い千葉商科大学の島田晴雄学長が伊達市の若手の為に主催した島田塾の勉強会に参加してもらい、見聞、知識を広めてもらうのが目的のようである。
私はもう勉強に興味が無くなったので、その以上は詳しくは聞かなかった。宴席で私はK社長の隣で、島田学長の前という特等席が用意されていた。
鍋を突っつきながら話に花が咲き、3時間にも及ぶ懇親会はやっと終った。
店を出て希望者を募り、その後に近くの六本木ヒルズのイルミネーションを見物に行った。例年のように美しくイルミネーションで飾られた通りをそぞろ歩く。
ビルの裏手に廻り、毛利庭園のイルミネーションを見る。
みんなは『ここがテレビ朝日の朝の天気予報を中継してる場所ですかー』と感嘆の声を上げる。
でも私の見たところ、昔と違って、伊達の人も東京の人も服装や態度では見分けがつかない。みんな、それなりに六本木の街に溶け込んでいたのである。
いまや『田舎っぺ』というのは死語となり、みんなお洒落になって、ファッションでは地域格差も無くなったのでは・・・・。
(おまけの話)
11月14日のブログで、『一富士、二鷹、三なすびを訪ねて』を書いた。そして、その時に駒込の富士神社の話を書いた。
その日の昼頃に杏林大学病院を出ると携帯メールが入った。画面を見ると、伊達市で一番忙しいと思われるRさんからだった。
『写真の岩には冨士山と書かれ、ウカンムリではありません。ある時、名字にこの冨がつかわれている人がおり、その理由を聞きましたら、先祖がワケアリの事件を起こし、お上からヽを取られた・・・なんて笑い話しみたいな答えを頂いたことがあります。冨士神社の大岩はどうしてヽが無いのでしょうかね?』。
私もそこまでは気が付かなかった。
写真を見直してみたら、確かにそうだ。
そこで冨士神社を管理している文京区役所アカデミー推進課というところにメールで問い合わせをした。
もう6日間も経過したが、まだ返事が無い。
市役所もその理由が分からず、困っているのかもしれない。
壮瞥神社の松永宮司からは岩の富士山の赤文字に付いて返信があった。
『14日のメール中の富士神社の岩文字の赤の意味は分かりません。特に意味は無いかと思います。たぶん目立つから入れたものだと思いますが。』とあったが、私はそれは違うのではないかと思っている。なにか理由がある筈だ。
本職の宮司の言うことも信用しなくなる。
だから年寄りは困ると言われそうだ。