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[2008.12.02]
■人間は死ぬのである
私の父親は41年前に胃癌が全身に転移して亡くなってしまった。 
私が22歳の時に『あと半年の命です』と医者に告げられた。そして、それから2年半を生きて56歳という若さで亡くなった。私はもうその父親の年齢を10歳も超えてしまった。 
母親は数年前に心臓発作で亡くなった。 
いつも『ポックリ死にたい』と言っていたが、ある日にその通りになった。 


先日、友人のY君からメールが入り、『妻が亡くなった』と知らせて来た。 
今までの葬儀の知らせは友人の両親のことが多かった。 
ところが最近は年のせいか、友人本人やその妻の知らせが届くようになった。 
親しくしているY君の奥さんは長く病床に臥せていた。 
献身的なY君の介護にはただただ感動を超えて尊敬の念さえ覚えた。 
私の女房は言う。『あなたには同じことは出来ないわねー』・・・と。 
 
そして27日の夕刻に私は風邪気味だったが、お通夜に出掛けた。 
そこには私の学生時代の友人達が11人も来ていた。 
とんだところで、思いがけないクラス会となってしまった。 
 
Y家のお通夜 
 
この年になると当り前のことだが、『人間というものは死ぬんだ』と分かる。 
いつ死ぬかというだけのことで、早いか遅いかの選択しかないのである。今までの人類の歴史上で、死ななかった人は居ないのであるから。 
 
既に私の友人の中には何人もお迎えが来てしまった人がいる。心残りなのは、その中の親しかった3人が自ら命を絶ってしまったことである。 
何もそんな予感がしなかったので、相談にも乗ってあげられなかった。それが残念で仕方ない。 
 
私もいつお迎えが来るか分からない。 
これは誰でも同じである。 
だから私は残された時間を有意義に過ごしたいといつも考えている。 
 
私は12月16日に前立腺癌の手術の為に入院する。 
無事戻って来ても、どの位の残り時間があるのだろう。 
女房は『あなたは100歳まで生きそうだ。娘に迷惑を掛けないようにね!』と言う。 
親父の両親は90歳過ぎまで生きた。母親の方の両親は40歳前で若死にした。 
私はどちらの血を濃く受け継いでいるのだろうか? 
 
ハワイの和尚の絵説法 
 
(おまけの話) 
お通夜には土地柄というものが強く現れる。 
10年以上も前に台湾の親しくしていた方が亡くなった。 
その時は台中まで出掛けて、女房と2人でお通夜から埋葬まで参加した。 
お通夜では中華料理の料理人を何人も呼んで自宅で盛大な宴席が設けられた。 
その時に生まれて初めて、中華料理の精進料理を食べた。海老チリも酢豚もみんな肉を使わない精進であった。 
 
北海道の伊達市でのお通夜に参加したことはないが、行った人に聞いた。 
そこではお通夜は坊さんを呼んで葬儀場で行われる。 
お焼香が終われば、それで終わりだと聞いた。 
その後の『通夜振舞い』という食事を出すしきたりは無いようだ。 
 
東京ではどうかというと、お通夜の後は食事が出る。 
その場所で故人を偲んでその人の話をしてもらおうという習慣である。 
そんなことからか、最近では本番の葬儀に参加する人が少なくなり、お通夜ばかりが賑やかになっている。 
そこで場合によると、お通夜の時に親しくしている喪主から葬儀の参加を依頼されたりする。 
 
もうすぐ老人ばかりの世の中になる。 
そうなると葬式もなくなるだろうと私は思う。 
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▼コメント(1)
名前:山本英次  2008.12.02 08:28:24
自宅で「死」を迎える事は、昔は当たり前の事でした。最近は、病院や施設での「看取り」が多くなり、厚労省は点数を追加までしていた。医療費の沸騰に慌てて、治る可能性のない患者は、病院を出されて自宅に戻される施策と変わってきた。  
在宅ホスピスという専門性のある診療所が生まれ、24時間365日往診してくれる。DRと看護師とヘルパーとの連携で、毎日患者のQOLの維持のために自宅介護の手伝いをしてくれる。妻は、緩和治療で痛みから解放され、車椅子ながら食事も孫達と一緒に出来たし、旅行にも行く事ができた。  
何よりも家族が終日傍に居る安心感が、気持ちの安らぎを与える事が出来たと思う。  
酸素吸入をしながらの数日間は、苦しかったようだが、最後は寝ている間に静かに息を引き取った。ベッドの両側から家族で手を取り合って最期を迎えることが出来た。  
「死を自宅で家族に見守られながら迎える」という本来の姿を見た気がする。 

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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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